2017(平成29)年2月



 先日、「いじめ対策についての研修会」に参加してきました。そこで出てきた質問に、ゾッとしたというお話です。

 「どんな言葉を言うと「いじめ」になるのか。そのリストは作られていないのか」というのがその質問。厳しい言い方ですが、こんなことを言う人が、無自覚に「いじめ」をするのだろうなぁと思ったのです。


 言葉とは、生き物です。時と場と関係性によって、同じ言葉でも全く意味が変わってきます。例えば、お笑い芸人さんの間では、「ハゲ」「デブ」「ブス」はオイしい言葉です。お笑いの世界では、それが個性になり、武器になるわけですから。

 ところがそれを、一般の生活で使うと、かなりの問題が生じます。傷つく人もいるでしょう。時と場と関係性によって、言って良い言葉と悪い言葉は変わってくるのです。
 何より、どんな言葉であったとしても、そこに侮蔑的な意味を込めて使えば、それは「いじめ」になるし、差別にもなるのですから。


 「例えば今なら、どんな言葉が・・」という一例をあげてもらうのであれば理解できます。相手を思うきっかけになりますから。しかし、「リストを作れ」というのは、短絡的で事務的な思考でしかありません。
 「この言葉以外なら、良いんだ」という安心感は、相手への想像力を停止させてしまいます。ならば、相手を傷つける言葉を口にしても気がつけないということ。これはゾッとします。無自覚であれば、躊躇いもない。ブレーキもかからない。それだけ相手の傷は深いのです。
 私たちがまずすべきは、相手への想像力をはたらかせること。アンテナを張り、「可聴音域を広げ」「チューニング能力を高める」(内田樹)ことでしょう。

 近頃は、どんな言葉が相手を傷つけるかが、とてもわかりにくい時代になっています。昔よりも、傷つきやすい若い子も多い。だからと言って開き直ってしまうのは、「いじめ」容認になってしまいます。安易な言葉狩りも短絡的。その言葉で語りたければ、「これは、あなたを傷つけるための言葉ではないんだよ。」というメッセージを、きちんと伝えることから始めるしかありません。


      


 私はお寺の住職であり、法話をする立場にあります。不特定多数の方にお話しするわけですから、誰がどの言葉に傷つかれるのかは、わかりません。でも、わからないからと開き直るのであれば、話す資格はありません。様々な立場の人を想定し、想像する。そこからどんな言葉を紡ぎ出すのかが勝負です。

 それだけ配慮をしても、立場によれば傷つく方もある。そこは、きちんと謙虚に聞き入れ、活かしていくしかないのです。受け止め、また苦悩する営みの中でこそ、言葉がどんどん磨かれ深まっていく。育てられていることが、実感できる。そこに出遇いの豊かさも、広がっていくのです。

 事務的な作業は大切です。しかし、そこに安住することは危険です。相手の温もりや痛み、厚みや奥行きは、想像力をはたらかせ、アンテナを張り、「課長音域を広げ」「チューニング能力を高める」ことでしか、わかりません。
 そんな世界の深さや豊かさを知ることが、自分の人生の深さや豊かさに出遇うことにもなるのだと、教えられるのです。■