2011(平成23)年8月 山口新聞『東流西流』 
 
 
 
 

昔TV番組で、湖の上に作られた幅50p、長さ300mの一本橋を、自転車に乗って渡りきることができるかというゲームがありました。自転車のタイヤの幅は約3pですから簡単だと思いきや、チャレンジしたお笑い芸人は、次々と途中で水の中に落ちていきます。地面に描かれた幅50pのラインの上なら、私でも何とか走れそうなのですが。接しているのは3pであったとしても、そこに連なる大地があるからこそ、安心して走ることができる。その大地の広がりを見失うならば、いつ落ちはしないかという怖ろしさの中で、ビクビク走らなくてはなりません。


 この前、怖ろしい言葉を聞きました。あるおばあちゃんが、息子さんのお嫁さんに言われたそうです。「おばあちゃん。私たちは子どもに迷惑をかけるつもりはありません。だから・・・、あなたの面倒も見ません。」と。私は誰にも迷惑をかけていないから、誰からも迷惑をかけられたくない。何と傲慢で、薄っぺらで、狭い世界の見方なのでしょう。しかしこれが今の時代、当たり前のようになってはいないでしょうか。


 私が接し、見えている世界は小さくても、そこに連なり支えて下さる大地は、もっともっと大きいのです。その大地と共に生きるからこそ、安心感が生まれるのでしょう。自分の世界を狭くすることは、実は周りの人だけではなく、自分自身が落ちていく地獄を作っていくことでもあるのです。