2011(平成23)年8月 山口新聞『東流西流』 
 
 
 
 

「近頃は若者が老人を騙したり、殺したりと、怖ろしい事件が起こっています。なぜ最近の若者は、年寄りを敬わないのでしょう。」とお寺の住職さんに訊ねた方がありました。住職さんは「敬われたい人が何を敬っているのでしょう。敬う世界を知らない人が、敬われるはずはありません。」と答えたそうです。私たちは何を敬いながら生きているのでしょう。自分が一番大事でお金が一番大切ならば、その後姿を見て育った若者が同じような生き方をしても、責めることはできません。


 先日、お寺の掲示板に「子は親の言うとおりにはならないが、親のしているように育つ」という言葉を掲げると、すごい反響がありました。私自身子どもを持つ親として、大変耳の痛い言葉です。しかし、どんなに痛くても大切にしなくてはならない言葉です。善導大師の言葉に「経教は鏡の如し(お経や教えは、私を写しだす鏡である)とありますが、人生を写し出す鏡と出遇うことは、本当に大切なことなのでしょう。ところが近頃の鏡は、自分を飾りたてる為の道具になっているのかもしれません。そうであるなら、自分が愚かで、醜いことをしていても、わからないままになってしまいます。


 鏡に写る姿に、もっと自覚的であるべきです。それは、立派な人間になることではなく、何を大切にし、何を敬いながら生きているのかという、人生への向き合い方の問題なのだと思います。そこから伝わるものが、きっとあるはずです。