「これでいいのか」と思ってしまうほどに、盛り上がらなかった参議院選挙。メディアは現在、都知事選を賑やかに報道していますが、どうも地に足がついていないような、ただ面白おかしく、視聴率がとれれば良いといった風潮に感じられます。そんな中で、「民主主義」って一体何なのだろうかと、常々考えていたことをほえてみました。

 
 
 
 
 
 

 

最近、民主主義って何だろうと、よく考えます。

ひとつのきっかけは、2000年に行われたアメリカ大統領選挙。フロリダでは、票の数え直し僅差で勝利したジョージ・W・ブッシュ氏は、9.11のテロ事件を機に、アフガニスタンへの侵攻、イラク攻撃を行った大統領です。(ちなみに、父親のブッシュ氏は、湾岸戦争へのゴーサインを出しています。)あの頃は、アメリカも真っ二つに割れていました。あまりの断絶の中、「私たちは変わらなければならない」と、チェンジをスローガンに登場したのがオバマ現大統領。その当時の期待度を考えると、それに応えることはできなかったように思います。

 

さて、ブッシュ氏は、僅差の中で大統領になりました。僅差ですから、当然自分を支持してくれた人たちの思いと同時に、自分に反対する人たちへの配慮があるだろうと思っていたのですが、さすがにそんなことはありませんでした。やはり政治の世界というのは、シビアなものなのでしょうか。

 

しかし、そこに対する違和感を麻痺させてはいけないと思うことがありました。20141225日の毎日新聞の山口版に、自民党の山口県議が議会運営委員会で、「数の力だ」「それが民主主義だ」と、民主主義は多数決なんだから少数意見を聞く必要はないという趣旨の発言をしたことが取り上げられていたのです。
 ブッシュさんにしても、ここまであからさまな発言は、されていないでしょう。ここまで開き直られてしまったら、もうブレーキは効きません。あとは暴走するだけです。

 

 

20143、台湾の学生と市民が、立法院日本国会議事堂にあたる)を占拠しました。与党の強引な議会運営への反発のためです。外では、学生たちを指示する市民が数千から数万人ほど集まり、デモを開きました。占拠の一部始終を記録したNHK・BS1の「議会占拠 24日間の記録」に、こんなシーンがあったそうです。

 

 占拠が20日を過ぎ、学生たちの疲労が限界に達した頃、立法院長(議長)から魅力的な妥協案が提示された。葛藤とためらいの気分が、占拠している学生たちの間に流れた。その時、ひとりの学生が、手を挙げ、壇上に登り「撤退するかどうかについて幹部だけで決めるのは納得できません」といった。

 この後、リーダーの林飛帆がとった行動は驚くべきものだった。彼は丸一日かけて、占拠に参加した学生たちの意見を個別に訊いて回ったのである。

 最後に、林は、妥協案の受け入れを正式に表明した。すると、再度、前日の学生が壇上に上がった。固唾をのんで様子を見守る学生たちの前で、彼は次のように語った後、静かに壇上から降りた。

「撤退の方針は個人的には受け入れ難いです。でも、ぼくの意見を聞いてくれたことを、感謝します。ありがとう。」

 それから、2日をかけ、院内を隅々まで清掃すると、運動のシンボルとなったヒマワリの花を一輪ずつ手に持って、学生たちは静かに立法院を去っていった。

(『ぼくらの民主主義なんだぜ』高橋源一郎 朝日新書)

 

このエピソードを紹介してくれた高橋源一郎氏は、こう言われています。

 

 民主主義は「民意」によって、なにかを決定するシステムだ。だが、「民意」をどうやってはかればいいのか。結局のところ、「多数派」がすべてを決定し、「少数派」は従うしかないのだろうか。

 学生たちがわたしたちに教えてくれたのは、「民主主義とは、意見が通らなかった派が、それでも、『ありがとう』といえことのできるシステム」だという考え方だった。彼らが見せてくれた光景は、彼らが勝ち取った政治的成果よりも、重要だったように、わたしには思えた。

 

 僕は、この話を読んで、少し泣きました。(最近、とても涙もろくなってしまって。)

現実は、厳しい。みんなの意見を、一つひとつ聞いて回るわけにはいきません。中には、苦悩の判断、苦渋の決断に対して、清らかな理想を振り回しながら一刀両断に切り捨ててしまう、決して「ありがとう」とは言わない理想主義の方もおられるでしょう。極端な部分ばかりを、過剰に、面白おかしく報道するマスコミもいる。

 

それでも、「反対する人がいる」ことを忘れない。その人たちの思いも大切にしながら決断する。そこに深みと重みが生まれてくるのではないでしょうか。「数の論理だ」と少数意見を切り捨てるのは、簡単です。山口県議の記事を書いた記者も、

もし立場が逆転したら―。少数派の意見も尊重し、できるだけ議論を尽くして欲しいと思う。

と書いています。反対意見に対して聞く耳を持たない政権は、独裁政権です。ヒットラーが率いたナチス・ドイツは、まさしくそんな政権でした。しかもそれは、民主主義、民衆の熱狂から生まれた政権だったのです。

民主主義も人間が作った制度ですから、不具合はいくらでも起こってきます。だからこそ、自分とは意見が違う人がいることを忘れずに、その意見にも耳を傾けながら、葛藤していくことが求められているのではないでしょうか。

 

 親鸞聖人は、阿弥陀様の清らかな心と、凡夫の罪にまみれた生き方という現実を、共に大切にされた方でした。それは相反する心です。しかし、阿弥陀様と現実の間に身を置いて、両方からの呼び声を聞いていかれた。だからこそ、聖人の心は深いのです。一言が重いのです。そして何より、豊かなのです。■