2011(平成23)年9月

 6年も前に書いたものですが、状況はますます悪化し、人の顔、感情、温もりよりも、数字が優先される世の中になってしまいました。東日本大震災では、300枚の毛布が差し入れられたのに、500人いるから公平に行き渡らないからと、一枚も配られなかった避難所もあったとか。確かに震災時においては、配る側に余裕がない状況も考慮すべきでしょうが、場所を変えれば日常的に見られる光景です。マスコミをはじめとした安易な責任追及が、無責任で硬直化した世の中を生み出してしまったのかもしれません。義援金も届かないはずです。改めてこの本を読み返すと、本当に新鮮に感じられました。






 織田裕二が、来年2月25日公開の映画『県庁の星』で、『踊る大捜査線THE MOVIE2』以来、2年半ぶりに映画に主演するようです。
 監督は、昨年放送の織田主演のフジテレビ系ドラマ『ラストクリスマス』をはじめ、松嶋菜々子主演の『美女か野獣』、唐沢寿明主演の『白い巨塔』、木村拓哉主演の『エンジン』など、フジテレビのヒット作を立て続けに演出してきた西谷弘氏が初メガホン。
 映画は大好きですが、別に織田裕二のファンだからこの情報に反応したわけではありません。そもそも好きなジャンルが違います。僕が注目するのは原作です。

  『県庁の星』(桂 望実 小学館)
   役人意識構造改革ストーリー
   役人根性全開の県庁のエリートが、田舎のスーパーにやって来た。
   本末転倒!怒り心頭!抱腹絶倒!ラストは感動!
   手に汗握る、役人エンターテーメント!!

 織田裕二情報よりもかなり前に、帯を見てすぐに購入。 その日のうちに読了しました。
 正直、「抱腹絶倒!ラストは感動!」とは大袈裟です。 ストーリーとしても、ありがちなパターンですし、 ラストもびっくりするようなドンデン返しというわけでもありません。
 でも、読む価値有り!の本です。 たくさんの大切な言葉が、ここには散りばめられています。

  「テレビで見たことある。 役人が一列に並んで、申し訳ありませんでしたっ
   て、頭を下げる記者会見。/謝罪って気持ち伝わってこないよね。 ああい
   うの見ると大人っていつから謝れなくなるんだろうって思うんだよね。

   慣例、前例って言うんでしょ。 能力がないからじゃないの? 人を見る力が
   ないから書類の数字を引っかき回しているんじゃないの? 責任取りたくな
   いから、前回と同じことばっかりやりたがるんでしょ。 責任とったらいい
   じゃない。
   誰の顔も窺わずに、自分の思い通りのことをして、きっちり責任取るって
   格好いいじゃない。
   今やっていることに疑問を持ちなさい。 まずはそこから。

   完璧なんでしょうな。 この書類の通りになれば完全無欠の店になるのだろ
   う。正しいよ。 でも…この書類には人間がいない。 客も従業員も存在して
   いない。見えてないんだ。なにも。

   中身を見る力のないヤツは、印刷されている数字を信じるしかない。 魚の
   目を見れば新鮮かどうかすぐにわかるものなんだ。 昔の人はきちんと見て
   いたよ。 今は切り身しか食べない客が多いから…それだってちゃんと見れ
   ば、品の良し悪しはわかるはずなんだ。 」

 最近は、スイカの甘ささえも数字で表示されているようですが、 結局、数字で判断するのが一番楽なのでしょうね。 考えなくても済むし、自分で判断しなくても済む。 失敗しても、人の責任だし、ややこしい人間関係にも、煩わされずに済む。 勿論、データや数字、マニュアルというものを否定するわけではないのですよ。
それは、それで大切です。 しかし、それのみで答えを出そうとしまうと、見えなくなることもあります。
 なぜなら数字やマニュアルは、あくまでもある角度からの分析≠ナあって、すべてを語るものではないからです。
 「データをいくら手に入れても、それを活用するのは人間であり、攻略法は自分の目で見て判断している。」という趣旨のことを、日本シリーズを制した千葉ロッテマリーンズのバレンタイン監督も言ってましたが、データやマニュアルは、あくまで参考資料なのです。 データは活用するものであって、それに振り回されるべきものではないことは、毎年シリーズ前になると、監督や捕手の談話に必ず出てきます。

 やはり、相手の顔や、感情、温もり、においというものを見失うとき、大切なことも見失うのでしょう。 そして、自分の顔や、感情、温もり、においをも、見失っていくのかもしれません。

 昔、お坊さんの研修会で、
「お説教するにあたり、差別はいけないと言うが、(当たり前のことですが、これが当たり前でないのがお坊さんの世界)ではどんな言葉が差別用語なのか、列記して欲しい。」
などと仰られた方がおられました。
 差別用語なんて、その言葉に侮蔑的な意味を込めれば、どんな言葉でも差別用語になりえます(勿論、その言葉が使用された歴史ということは、踏まえる必要があります)。 つまりは、「これを言わなかったら、差別にはならない」という言葉などないのですね。
 逆に、未来の差別用語は、無数に存在する。 また、文脈を考えて使用すれば、使えない言葉もないはずなのです。(確か、ドキュメンタリー作家の森達也さんが『放送禁止歌』を撮影する際に、解放同盟の人とこんな話をされていました)。

 つまりは、普遍的に対応できるマニュアルなんてものは、どこにもないのです。 データやマニュアルを参考にしながらも、 人と人とがお互いに目を見ながら、ケースバイケースで対応していくしかないのです。

 そんな力が、今こそ求められているのでしょう。 そして、そのような力は、明日、明後日に、突然身に着くものでもありません。 身に付けるためのマニュアルなんて、当然ありません。 ただ、ただ、人と出遇い、触れ合い、ぶつかる中でしか生まれてはこないのでしょう。
 確かに面倒くさいし、鬱陶しい。 だからこそ、逆に数字であらわされるような薄っぺらな関係ではなく、 深くて豊かな出遇いがそこに生まれるのだと思います。

 よく言われてそうなことではあるけれども、見失いがちである大切なこと。 でも、それを簡単に手に入れられるマニュアルなんてないこと。 この『県庁の星』という本は、それを教えてくれます(勿論ラストが、うまくいきすぎの感は否めませんが)。

 ちなみに、インテリジェンス(intelligence)のintelは、元々interからきているそうです。 Interとは、中、間、相互の意味だから、 つまりは、本当の知性とは、目に見える数字、知識を覚え込んだりすることではなく、その間にあるもの、つまりは行間を読む能力のことをいうのでしょう。
 知識ばかりを振り回し(知識に振り回され)、 行間に込められてある思い、願い、喜びや悲しみ、せつなさ、感動といった 人の営みを読み込むこともできない自称知識人が、政治家が、本当に多すぎるように思うのは私だけでしょうか。 いやいや、もしかして一番振り回されているのは、僕なのかもしれません。


 さてさて、どんな映画になるのやら。今から楽しみにしています。 とはいっても、映画館まで足を運ぶでしょうか。 実は僕が待っているのは、レンタル開始の時期のような気もしているのですが。■