2013(平成25)年6月 


 久しぶりの、本当に久しぶりの新作です。保護司やPTAを始め、地域の役職を引きうけることが多くなり、多忙の毎日を送っております。そんな中で思ったことをほえました!中学校PTAの広報紙に「会長挨拶」として書いた文章を、大幅に直して掲載しています。ごくごく当たり前のことなのですが、あえて言わなくてはならない時代になったことに、寂しい思いがします。




 近頃、保護司をはじめ、地域や市、学校等々の役職を、たくさん引き受ける羽目になりました。特に今年度からは中学校のPTA会長も仰せつかりまして、既にキャパシティーを超えているのではないかとも感じております。
 私の前の会長さんは、一学年上の尊敬すべき先輩で、これまでいろんな役職を何年にもわたって受けられ、エネルギッシュに、また楽しそうに取り組んでこられた方であります。一方私はと言うと、二言目には「大変です。」「しんどいです。」「五十歳を前に、最近疲れが抜けなくなりました。」とグチのオンパレード。先輩の態度と比べると、ホント心苦しい限りです。


 ところが最近、「グチを言いながらでも、いいんじゃないかな・・」と思い始めました。きっかけは、ある方の一言。昨年度、中学校野球部の世話役をしていた後輩が(ちなみに今年度の世話役は、私なのです。とほほ)、これまた一生懸命なヤツでして本当によくやってくれたのですが、その彼の取り組みに対してお母さん方からこんな陰口が聞こえてきたのです。
  「私ら、来年はあそこまで、できないよ。」
  「いいんよ。あの人は、好きでやっているんだから。」
 有りがちな陰口といえばそうなのですが、これには正直ガックリきます。それぞれの取り組みに対して、批判は当然あることでしょう。しかし、お世話してくれた人に対しては、敬意を前提としたものでなくては失礼です。聞き流せばいいのかもしれませんが、怒りさえ込み上げてしまうのは、気の短い私だからなのでしょうか。


 先日は保護司の関係で、地元の高校生と共に『薬物ダメ!キャンペーン』のチラシ配りのお手伝いをしました。その際、あるオバちゃんから、
「あんたら。高校生に手伝わせているんだから、ちゃんとあの子たちに薬物の怖ろしさを教えているの? 聞いてみたけど、ピンと来てなかったみたいよ。ちゃんと手当をもらっているんだら、きちんと仕事をしなさい!」
と怒られたのです。確かに正論ですので「ご意見伝えます」と返事はしましたが、カチーンときたのは後半部分。
 私たち、確かに手当はいただいておりますが、手当目当てでやっているわけではございません。それに、正直言うと手出しの方が多いのです。しかも、できれば辞めさせて欲しいと思っている方々ばかりです。でも、みんな辞めないのはなぜか。
 それは、責任感からなのです。


 役を引き受けるたびに驚かされるのは、様々な役職があって、それを引き受ける人々の責任感によって、世の中が成り立っていたのだということです。誰もが、役職など引き受けたくはありません。好きでやっているわけでもありません。誰かがやらなくてはならないから、引き受けているのです。
 そして、やるからには精一杯やろう、楽しい時間にしようと頑張っている。いざ現場に立って問題が突きつけられると、責任感において身銭を切ることだってある。そんな人たちがいたからこそ、私も育てられてきたのだということを、しみじみと感じさせられています。
 それを、「好きでやっているんだから。」「手当をもらっているんでしょ」は、あまりにも失礼な話です。こんな言葉を軽く言い放つ人が、本当に増えました。


  今の時代は、「自分のやりたいこと、楽しめることを見つけよう」とよく言われます。しかしそのことで、逆に「やりたくないこと、楽しくないことはしない」という感覚も広がってしまったのではないでしょうか。
 やりたくなくても、大切なことがある。嫌なことでも、しなくてはならないことがあるんです。それを引き受けて下さる方があるからこそ、私たちの生活は成り立ってきたのです。 
 その意味においても、「別に、好きでやっているんじゃねーよ。」「大切だと思っているから、やってるんだよ!」とアピールするためにも、グチを言いながらやっていこうと考えているのです。

 とはいえ、役を引き受けているとはいっても、あまり役に立っていないことを痛感する毎日ですが、兎にも角にも精一杯務めさせていただかないといけないなぁと。そんなことを思う今日この頃であります。■