2014(平成26)年4月 山口新聞『東流西流』 
 
 
 
 



クイズを一つ。「既に造った罪」と「これから造る罪」どちらが怖いでしょう。
 仏教では「これから造る罪」だといいます。どんなに悪いことでも、既にしたことは一つの限定を持ちますが、「さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいをもすべし」(歎異抄)、縁あれば何をしでかすかわからないのが私なのだと教えられるのです。



 以前佐世保市で、十二歳の少年が四歳の少年を殺してしまうという悲しい事件がありました。当時うちの子が三歳と五歳でしたから、本当に身震いしたことでした。
その際ある大臣が「加害者の親は市中引き回しの上、打ち首にすればいい」と発言されました。勿論、被害者の親御さんがそんな思いを持つことはわからないではありません。

 しかし私たちは、被害者の親になる可能性もあれば、加害者の親になる可能性もあるのです。「うちの子は大丈夫か」「俺の子育ては大丈夫か」と悩んでいる。根はもっと深いはずですから、時代劇の様に「一件落着!」と爽快にはいかないのです。




 自らを顧みない安易な行為は、新たな被害者や加害者を生み出しかねません。自分の爽快感に被害者を利用するのであれば、余りにも失礼な話です。そう指摘する私も次の瞬間何をしでかすかわからない。でも、その自覚から始めなければ、迷いはますます深まるばかりです。