2014(平成26)年4月 山口新聞『東流西流』

 山口新聞『東流西流』の第五回目です。新自由主義が主流の現代社会において、「自由」という言葉の意味を今一度考える必要があるのではと、常々思っています。





 最近の子どもたちは、大変な環境に置かれています。ゲーム・テレビ・ネットなど様々な欲望が襲いかかる中で、折り合う力を育てなくてはならないのですから。大人でもパチンコやお酒に折り合えない人がいるのに、子どもにはかなり難しいことです。私が子どもの頃は、刺激も少なかったのでまだマシでしたが、今の環境なら絶対に流され、怖ろしいことになっているはずです。

 近頃は、自分の思い通りにすることを「自由」だと思われているようですが、仏教ではそれを「煩悩に縛られている状態」だと言います。ゲームを遊ぶのはいいのですが、ゲームにもて遊ばれてはいないでしょうか。携帯に、テレビに縛られてはいないでしょうか。暇つぶしは増えましたが、気がつけば一生が暇つぶしで終わっているのかもしれません。それは自分を見失った、心貧しい生き方です。

 『大無量寿経』というお経には、世に生きる私たちの姿を「薄俗にして共に不急の事を諍う」と示されています。「不急の事」とは「急がなくてもいい事」という意味です。何を急ぎ求め、争っているのか。よくよく見つめていかないと、人生が薄っぺらなものにしかならないのだと教えられるのです。