2005(平成17)年6月号  



 今年の七月三十、三十一日と、仙崎を舞台に『真宗青年の集い山口大会』が開催されます。これは、真宗のみ教えをいただく若者たちが、全国だけではなく、海外からも集まってくる大会です。私も急遽スタッフとしてお手伝いすることとなりました(四十過ぎると青年ではなく、オジさんなのでは?という声もありますが、まだまだ若輩者。それに気分はいつも青年! 単に子どもっポイということかも、しれませんが)。
 仙崎が舞台というのは、金子みすゞさんの詩を通して、仏様のこころに出遇うということがテーマだからです。イマどきの青年たちのハートをがっちりつかむような企画を考えながらも、単なる遊びではなく、そこに仏様のこころを感じるものにできればと思います。


 みすゞさんといえば、やはりその優しく温かいまなざしですね。こんなところにまで届いているのかと驚くほど、弱い者、無視されている者、切り捨てられる者へと注がれています。仏さまのまなざしのように。だから、そのまなざしに触れると、優しい気持ちになり、温かな気持ちにもなります。でも、ふと思うのです。「私が向けているのは、どんなまなざしなのか」と。

 今回の大会テーマは、あの有名な「みんなちがって、みんないい」(『わたしと小鳥とすずと』金子みすゞ)というフレーズですが、私自身の生活をふり返ると、

 「僕には、僕の生き方がある。 
  あいつには、あいつの生き方がある。 
  それはそうだ。
  だから、あいつが何したって関係ない。
  あれはアイツの自己責任。
  僕のことは、ほっといてくれ。
  みんなちがって、どうでもいい」

ということになっているような気もします。みすゞさんのまなざしに込められたこころをいただくこともなく、言葉のうわべだけで解釈しているのではないかと。

 考えてみれば、私たちは阿弥陀さまの心(真実信心)をいただくことが大切なのだと、くり返し、くり返し、先輩方から伝えられてきました。まなざしに込められたこころをいただく。そのときには、当然私のまなざしが、問い直されるのでしょう。

 この大会に関わることを通して、「私が向けているのは、どんなまなざしなのか」と、もう一度わが身をふり返る場としたい。そう思っています。■