2005(平成17)年8月号  



 日本で戦争が終わり、六十年がたちました。私なんかには、戦争中のご苦労や悲しみがどんなものか想像もつきませんが、野波瀬を歩き、多くの家の玄関に飾られた遺族の家≠ニいう札を見るたびに、戦争の傷跡の生々しさを感じます。



 日本で戦争が終わり、六十年がたちました。そんな年に、「Little Birds 〜バクダッド父と子の物語〜」(綿井健陽監督)というドキュメンタリー映画を観ました。イラクのバグダッドに住む一人の男性に焦点を当てたものですが、彼が泣くのです。「ここに爆弾が落ちたんだ。ここにあの子がいたんだ。あの子に何の罪があるのか。」と。そこにはアメリカの言う大義≠ネど微塵もありません。ただ、ただ、泣き続けている彼の姿が描かれている。亡くなった彼の娘は、ちょうど私の息子宏哉と同じ歳でした。





 

「Little Birds 〜バクダッド父と子の物語〜」
監督:綿井健陽/2005年




 日本で戦争が終わり、六十年がたちました。そんな年の七月七日、民主党の西村真悟議員は「不戦の誓いをしてはならない。近い将来、わが国は戦争を受けて立たなければならないこともあり得る。場所は東シナ海、台湾海峡だ。その時は勝たなければならない」と語られたそうです。勇ましいことです。でも、でも、その勇ましさ≠フために、どれほどの涙が流されるのでしょう。
 ひと昔前なら大問題になっているような発言ですが、今では誰も取り上げません。これも時代の流れ。仕方がないことなのでしょうか。



 日本で戦争が終わり、六十年がたちました。世の中も大きく変わったのでしょう。便利さ、快適さをはじめ様々なものを手に入れ、同時に大切な何かを失いもしたといわれます。その大切な何かを取り戻すためということで、今いろんなことが叫ばれていますが、それがこんな勇ましさ≠ネのでしょうか。


 浄土真宗の先輩方は、阿弥陀様を「親さま」と呼んできました。すべてのいのちを一人子のように慈しむ仏さまだからです。その心をいただく中で、人を、自然を慈しみ、その恵みに「有り難い」と頭を下げていかれた。私たちが取り戻すべきものは、実は勇ましさ≠ネどではなく、慈しみの心≠ナはないのでしょうか。
 
 


  日本で戦争が終わり、六十年がたちました。 そして今、勇ましさ≠、誇り≠取り戻そうという動きが出ています。
 でも考えたら、時には生活のためにつらい思いをしながら、頭を下げる人もいるのです。そんな庶民の感覚とはかけ離れたところにある、誰かの誇りやメンツのために、子どもたちが戦争に行かねばならぬのならば…こんな馬鹿げた話はありません。
 でも、それをいう人たちって、私たちが選挙で選んだ人たちなのですが。■