2006(平成18)年8月号  



 親鸞聖人の七五〇回大遠忌法要が五年後に迫り、本山から「安穏」というポスターが送られてきました。極楽寺の本堂に張ってあります。
 これは「世の中安穏なれ」という聖人のお手紙の一節の言葉で、大遠忌法要のスローガンです。聖人の願いを、しっかりと噛みしめていきましょうという、うながしでもあります。

 以前、映画監督の森 達也さんという方から、こんな話を聞きました。
 仕事で、モンゴルに行ったときのこと。モンゴルというと、雄大な大草原というイメージがします。実際そうなのですが、ウランバートルというモンゴルの首都は少し様子が違うそうです。とにかく人が多い!特に市場に行くと、大変な人ごみ。都市部が少なくて、あとは草原ですから、人がひとつところに集まってしまうからだそうです。

 さて、森さんは、ウランバートル滞在中のガイドさんを紹介され、ハッとしました。その方、若い女性で森さんの初恋の人にそっくり。他人の空似とはいえ、ドキドキしたそうです。
 そのガイドさんに、案内され、市場を歩いていたときのこと。人ごみの中を掻き分けながら歩いていると、ガイドさんが突然振り向いて、森さんの両手を握りじっと目をみつめてきたそうです。森さんは初恋の人によく似た女性から、急に両手を握られ、じっと目を見つめられたものですから、ドキドキ。
 そのとき彼女は何と言ったのかというと・・・、
「これは習慣よ」
どうやら森さんが、彼女の靴のかかとを踏みつけてしまったらしいのです。
 ウランバートルには人がたくさんいますから、うっかり誰かの足を踏みつけたり、ぶつかったりということがよくあります。そんなとき、モンゴル人は必ずすぐに手をとりあって、互いに詫びるのです。知り合いだろうと、知らない顔であろうと、とにかく手をとりあって。

 なぜなら、遊牧民たちは日常的に使うため、ナイフを懐にしのばせていることが多い。だから、些細な言い争いが、取り返しのつかない結末にエスカレートすることを、彼ら彼女らは身をもって知っているわけです。すべてが終わってから、「あぁ、とんでもないことをしてしまった」と後悔することを、何度も体験してきたのでしょう。
 「人はそれほど賢くない」、それを骨身に沁みて知っているからこそ、そんな習慣が定着したのでしょう。森さんが初恋の人によく似た女性に手を握られたのは、決して愛情表現ではなかったのですね。  


 「人はそれほど賢くない」。そのことに親鸞聖人は、仏さまの智慧を通して気づいていかれました。相手をならず者と謗る自分が、気づかぬうちにならず者の行動を取ることさえある。取り返しのつかない結末へと、とめどもなく突き進むことさえあるのです。

 どんな相手でも、まず手と手をとりあうことから始める。それが親鸞聖人の「世の中安穏なれ」という願いに通じていく気がいたします。■