2007(平成19)年4月号  




  「以前食中毒を出した店と、これまで一度も出していない店。
       あなたは、どちらで食べたいですか?」


 こんな質問をされたら、あなたはどちらだと応えますか? やはり、一度も出していない店でしょうか。
 不二家といい、プロ野球の西武ライオンズといい、企業の不祥事が問題となっていますが、本当に恐ろしいニュースが飛び込んできました。北陸電力の原子力発電所における臨界事故の、隠蔽行為です。
大事故につながりかねないことを隠していたという事実に、そして嘘を重ね続けていたという事実に、恐怖を通り越し、呆れて言葉が出ませんでした。
 どうして、こんなことが起こるのでしょう。新聞やテレビでは、不二家・西武・北陸電力、共通して、その「会社の体質」を問題にしていますが、果たして問題はそれだけなのでしょうか。もっと、もっと根深い問題が、私たちの「社会の体質」としてあるような気がします。
 ミスや事故が起きたときに、「素直に報告し、責任を受け止める」ことよりも、「見つからなければ、それでいい」という考え方が。


  「以前食中毒を出した店と、これまで一度も出していない店。
        あなたは、どちらで食べたいですか?」


 もちろん、一度も食中毒を出していない店は、小さなミスからの管理・教育を徹底しているのかもしれません。 しかし、そういうところばかりとは限りませんし、もしかすると「一度も出していない店」とは、「一度も報告していない店」なのかもしれないのです。なぜなら、失敗をしない人間がこの世にいるとは、とても思えませんから。
 親鸞聖人の書かれたものを読みますと、「人間は、失敗をするんだ。失敗をするのが人間なんだ。だから、開き直れということではなくて、そうではなくて、失敗をどう受け止めて生きていくのかが、問われるのだ。」と仰っているように思えます。
 ならば、事故や失敗が起きた時点で、どのような対応をするのか、その後にどんな取り組みをするのか、日頃のミスにどう向かい合うのか。 信頼関係とは、そこにおいて築かれるものではないでしょうか。
 「失敗をしない」ことが評価され、「失敗をどう受け止め、その後どう取り組んでいるのか」が評価されないような「社会の体質」があるのならば、これからも同じような事件は続くことでしょう。


  あやまちは 人間をきめない   あやまちのあとが 人間をきめる
  あやまちは 人生をきめない   あやまちのあとが 人生をきめる
                   (『白い木馬』ブッシュ孝子)


 JR東京駅内で営業する立ち食いそば店が、ネズミが入った鍋で煮たカレールーを使ったそばやうどんを、客に提供していたと発表・謝罪しました。どうしたことか、火にかけている鍋にネズミが入り込んだようです。 ネズミ入りカレーを食べさせられた方は、大変不快な思いをされたことでしょう。しかし、隠すことよりも、責任を深く受け止めて発表した店の真摯な姿勢に好感を持つのは、私だけではないはずです。■