2007(平成19)年12月号
 


 暮れもおしせまってきました。新しい年を迎えるにあたり、皆さんそれぞれ「こんな一年でありたい」という願いを持たれることでしょう。

 今年を振り返ると、その「思い」が適わなかった代表的な人たちが、ボクシングの亀田一家ではなかったかと思います。その派手で傲慢な言動で注目を集めた彼らでしたが、次男大毅選手の敗戦を機にその生活は大きく変わってしまいました。
 彼らの才能やトレーニングへの真摯さは、今でも高く評価されています。しかし、反則行為や言動は、パフォーマンスを越えて行き過ぎていたことも事実です。もし、大毅選手が勝っていれば、その傲慢さや身勝手さは益々増長されていたでしょう。そうなってからのつまずきは、今以上の大きな反動になって彼らに返ってきたはずです。僕は、本当に良い時期に負けを経験できたのではないかと思いました。

  仏法を聞いてこられた先輩方は、「勝つ」ことや、「思い通りになること」を願いながら生きている私たちに、「負けること」から学ぶことや、「思い通りにならないこと」がかえって世の中を広くし、豊かにすることを教えて下さいました。
 亀田一家も「チクショー、あの時負けていなければ。」という思いに立つ限り、いつまでも同じことの繰り返しでしょう。しかし、後々振り返ったときに「あの時負けて良かった。もし勝っていたら、きっととんでもないことになっていた。」、そう思える歩みをしたときに、彼らはもっと強く、大きな選手になるのだと思います。

 新しい一年には、うれしいことだけではなく、悲しいことやつらいこともあるかもしれませんが、それを通してどんなことに気づくのか、どんな出遇いが開かれるのか、僕はそのことを大切にしたいと思うのです。■