2008(平成20)年4月号  



 四月八日はお釈迦様の誕生日。誕生を祝う花まつりが、全国各地の寺院で催されます。そして五月二十一日といえば親鸞聖人の誕生日、降誕会です。
 ところで「誕」という字を辞書で見ると、その意味は「うそ、いつわり」とありました。イメージとの違いに驚きますが、私たちの先輩方はお釈迦様や親鸞聖人のご出生を「降誕」、つまり「うそ、いつわりの世に降り立って、真実を教えて下さった方」と受け止められたのです。

 参議院選の与野党逆転を機に国会が空転を続け、ガソリン税や日銀総裁人事など各方面に多大な迷惑と損害を生み出しています。何としても政権をとりたいという民主党の思惑と、数に任せて強行採決を続けてきた自民党のツケが、対話が成り立たないほどの断絶として今に至ったのでしょうか。間にはさまれた福田首相は可哀相でもあるのですが、何かちぐはぐな態度でもあるようです。

 対話の基本は、「話す」ことよりも「聞く」ことにあると言われます。確かに「我こそが正しい」と主張を振り回して相手を論破したとしても、対立を深めはしても対話には繋がりません(「俺は、こんなに聞いているじゃないか!」という態度も、単なる自己主張の一種だとも言われます)。
 やはり相手の言い分や事情を認める。自分を謙虚に振り返り、足りない部分を見つめていくことが、「聞く」という態度の第一歩です。そこにこそ対話が生まれ、説得や歩み寄りということも出てくるのではないでしょうか。勿論、それで明日から国会が動き出すなどと簡単に言うつもりはありませんが、そこからしか始まらないのも事実でしょう。

 私たちの先輩方は、自らを含めたこの世を「うそ、いつわりの世」と受け止め、お釈迦様や親鸞聖人の教えに自分の生き方を問い、聞いていかれました。その受け止めの態度から、豊かな出遇いや尊い気づきが生まれてきたのです。その姿勢に深く学ばせていただきたいものです。■