2008(平成20)年8月号  



山口県出身の映画監督といえば、ドキュメンタリーの名作『ゆきゆきて神軍』の原一男監督や、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督といった方がおられますが、最近積極的に活動しておられる方に、回天特別攻撃隊を描いた『出口のない海』(出演 市川海老蔵)、角島で撮影された『四日間の奇跡』(出演 吉岡秀隆 石田ゆり子)などの佐々部清監督があります。

 その佐々部監督が、『夕凪の街桜の国』という映画を撮られているのをご存知でしょうか。 この映画は、昭和三十三年の広島を舞台に、被爆した女性・平野皆実(麻生久美子)の儚い日常を描く第一部の『夕凪の街』。そして舞台を現代に移し、定年退職した皆実の弟(堺正章)が姉と関わりあった人たちを広島に訪ねていく姿と、彼を追いかける娘(田中麗奈)を通して、淡々とした日常のかけがえのなさ、その背後に重く存在している原爆の悲しみを描いた『桜の国』の二部に分かれています。



原作は、こうの史代さんのマンガです。マンガといって侮るなかれ。ほのぼのとした日常の皮一枚下にある悲しみを深く描き出したこの作品は、各方面から絶賛され、韓国、台湾、フランス、イギリス、米国、オーストラリア等でも出版されました。


  わかっているのは「死ねばいい」と
  誰かに思われたということ
  思われたのに 生き延びているということ

  死体を平気でまたいで歩くようになっていた
  わたしは 腐っていないおばさんを冷静に選んで
  下駄を盗んで履く人間になっていた

  あれから十年
  しあわせだと思うたび 美しいと思うたび
  愛しかった都市のすべてを 人のすべてを思い出し
  すべて失った日に 引きずり戻される

  おまえの住む世界は ここではないと
  誰かの声がする



 原爆投下後の修羅場の中、多くの人々を見捨てて生き延びたゆえに、いや、そうせざるをえなかったがゆえに、自分に幸せになる資格はないと思っている皆実の言葉です。原爆症で死の床に伏しながら、彼女は最後にこうつぶやきます。


  嬉しい? 十年経ったけど 原爆を落とした人は
  わたしを見て
  「やった!またひとり殺せた」と
  ちゃんと思うてくれとる?



 生き残ってしまったこと。見捨てた人の上に、生きていること。その苦悩の深さ。そんな僕の知らない悲しみがあること、そしてあったこと。「死ねばいい」と思うことが、「死ねばいい」と思われることが生み出す世界の絶望感。何よりも、その重さを、僕は知らないでいること。その事実を、厳しくつきつけられるのです。


 
 

「夕凪の街 桜の国」
こうの史代(双葉社)

 

 原爆が落とされたその下には、僕なんかが想像もつかないほどの深くて重い事実があったはずです。いくら見聞きしても到底わかった顔などできないはずなのに。ところが僕は、それをわかったことにして、真摯に向き合おうともしてこなかった。そんな薄っぺらなものの見方では、「死ねばいい」と思うことが、「死ねばいい」と思われることがどんなに恐ろしいことかも、気づけないままになるのではないかと考えさせられました。

  秋葉原で起こった十七人殺傷事件を代表するように、「人を傷つけ殺すことでしか、自分を主張できない」と思い込む若者を生み出したこの現代社会。その社会に生き、社会を作っている僕たちは、どれだけこの悲しみに、「死ねばいい」と思われることの恐ろしさに、真摯に心をよせてきたのでしょうか。
 まずは、「知らない」自分であることを知ること。そこからしか見えないものが、きっとあるはずです。■