2010(平成22)年4月号 



 今年の一月より、太陽光発電を庫裏の屋根にとりつけました。これは、『平成21年度地域新エネルギー等導入促進事業』対策費補助金の交付を受けて設置したものです。私たちが人間中心の考え方をもとに便利さ快適さを求めることで、環境破壊が進み、深刻な問題になっています。その問題意識を高めていく一助としてお寺も協力し、アピールして欲しいということで助成されました。ぜひ、積極的に取り組んでいきたいと思います。

       


 ただ、本願寺の大谷光真ご門主は、著書『愚の力』(文春新書)で、人間中心の考え方についてこのように示されています。

「人間の欲望には限りがありません。動物も欲望がありますが、お腹がいっぱいになればそれ以上食べようとはしません。
 ところが人間は満腹してもなお食べようとし、それを繰り返しついには病気になったりもします。お金もそうです。米国の投資銀行などの経営者は何十億円、何百億円も儲けていたそうです。個人ではとても使いようがないのに、なお儲けようとする。そうして世界規模の経済破綻を招いてしまいました。長寿が実現して寿命も八十年で満足するかといえば、そうではありません。より健康に、もっと長生きしたいと思うのが人間です。
 仏教においては、この歯止め無き「欲望」というのが昔からの大きな課題でした。/七三年に/親鸞聖人御生誕八百年・立教開宗七百五十年ということで大きな法要や行事がありました。/そのころは「物で栄えて心で滅びる」というキャッチフレーズがあって、/私も/「物の繁栄に負けないように精神文化を高めて、物で滅びるということを規制しなければならない」などと話していました。ところがこれがあべこべではないかと考えるようになったのです。「物で栄えて心で滅び」るのではない、/「心を滅ぼしたからこそ物で栄えられた」のではないかと。 

 今回、太陽光発電を設置したからと、「環境に配慮している」「エコに貢献している」などという思いでいると、とんでもない勘違いをしでかすのではないかと考えさせられました。歯止めなき欲望や、心を滅ぼし続けている自分の姿に向き合うことなくしては、ますます迷いを深めるだけになりかねません。

 「愚の力」とは、それを自覚することで生まれてくる、「せめて」「これくらいは」という謙虚な姿勢そのものではないかと、深く考えさせられました。そこにこそ、心を取り戻す営みがあるのだと。しっかりと受け止めたいものです。■