2010(平成22)年4月号 







極楽寺境内に、親鸞聖人の銅像が建立されました。これは、昨年勤修されました親鸞聖人七五〇回大遠忌法要並びに第二十三代住職継職法要の稚児宿を引き受けて下さいました宮崎家、小林家の皆様から、その記念にと寄進していただいたものです。

 


 親鸞聖人ご在世の時代は、まさしく乱世であり、力のない者、弱い者、貧しい者は、蔑まれ、見捨てられ、あってもなきに等しい「いし かわら つぶて」のごとくに扱われていた時代でありました。親鸞聖人とは、その人々と共に「われら」として生き抜かれた方でした。それは、すべてのいのちを黄金のように輝かせ、虚しいものにしないといとおしまれた、阿弥陀如来の願いを拠りどころとされた歩みでもありました。


 一方、私たちが生きるこの現代社会はというと、共に喜び、悲しみ、出遇いを深めていくことよりも、自分の世界に閉じこもり、自分の欲求のままに生きる傾向が剥き出しとなっています。そのため、利用可能か、効率が良いか、邪魔かどうかばかりが問題とされ、いつしかいのちが、欲求を満たすための部品のように消費されるようになりました。利用価値のないいのちは「いし かわら つぶて」のごとく蔑まれてもいます。それは出遇いを遠ざけ、思いやり、寛容を奪い、人を蔑むことでしか喜べない悲しい時代を生み出してしました。こんな時代だからこそ、聖人の歩みを道標として、人生を見つめ直していくことの大切さを深く噛みしめなくてはならないと思うのです。

 聖人の銅像は、石階段を上がって来られた方々を、あたかも「よくお参りに来られましたね」と温かく迎えて下さるように建てられました。聖人が歩み、私たちに指し示して下さった道を、共に歩んでいきたいものです。この銅像は、まさしく極楽寺のシンボルです。■