2010(平成22)年12月号   



 「都会には自然がない」とよく言われます。ということで、近頃はビルの屋上を利用して、そこに畑を作ったり、植物を植えたりと、「緑化計画」なるものが進められているようです。ところが、解剖学者の養老猛司さんは、「自然がない」とは単なる「植物がない」ことではなく、「生老病死」がないことを言うのだと指摘されています。考えてみれば、生まれて、老い、病気になり、やがて死んでいくことは自然なことです。ところが、私たちはその自然なことを不自然なこととして考えているのだと言われるのです。マンションのエレベーターには、棺桶をのせるスペースはありません。つまり、生活空間に「死」というものが入ることを許されないことを前提に作られた建物に、たくさんの人が住んでいるというわけです。


  2009年8月、製薬会社・協和発酵キリンが、二十代から六十代の男女千人を対象に「いのちの大切さに関する意識調査」をインターネット上にて実施しました。その中に、あなたが「あと1ヶ月で人生を終えるとしたら、何をする」という質問がありました。皆さんは、何をされますか?そして、どんな回答があったと思われますか?最後だからと、めいっぱい自分が楽しむための時間にする意見が多いかと思いきや、1位はなんと・・・「親孝行」。そして、2位には「お世話になった人に恩返しをする」。3、4位には「世界中を旅行する」「食べたかったものを食べる」が入りましたが、5位には「疎遠になった友人に会う」6位には「社会貢献活動をする」と、人とのつながりを意識させる答えが、数多くありました。

 つまり、私たちは「死」を意識することで初めて、自分の人生にとって何が一番大切なのかを考えさせられるのでしょう。「死」を見つめるとは、「生」を見つめることなのです。現代とは、「死」という自然なことから目を逸らしたことで、逆に「生きる」ことが見えなくなってしまった時代なのかもしれません。


「お寺になぜ若者が来ないのか」をいろんな方に相談すると、よく「お寺には、死というイメージがあって暗いからではないか」という意見をいただきます。だからといって、私たちは「死」を隠すわけにはいきません。そこにこそ、本当に「生きる」ことを見つめる場があるからです。「お寺には、死のイメージがあって結構。そんな場所がないことが、実は不自然なことなんだ。」と、住職として胸を張って言いたいのです。