2010(平成22)年12月号  



 今年の流行語大賞は、「ゲゲゲの〜」が選ばれました。高い人気を誇ったNHK朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』からだそうですが、観ていない私にとっては、あまりピンときませんでした。皆さんは、どうでしょう。今年の流行語を選ぶとしたら、どんな言葉を選ばれますか?

 私が選考委員なら、今年の大賞は迷うことなく、「辞めたらどうですか」を選ぶと思います。総理大臣を始め、横綱朝青龍関。野球賭博に関連して大関琴光喜関、元貴闘力の大嶽親方。それに法務大臣まで、いろんな方々が不祥事で辞めていかれました。国会や政局では、政権交代以前から、連日のようにこの言葉が飛び交っています。昨日まで「辞めたらどうですか」と言っていた側が、今日は言われる側になっていて、追及を受けて辞められた方が、今度は「辞めたらどうですか」と言う側にまわっている。そんな状況が、繰り返されています。
 しかし、歌舞伎俳優市川海老蔵さんの謝罪会見で発せられた、芸能レポーターの「引退は考えてはおられないのですか」という質問には、「そこまで言わなくても」と思われた方も多かったようです。確かに、辞めた方が良いケースもあるでしょうが、何でもかんでも「辞めろ」というのは、短絡的ですし軽々しいのではないでしょうか。辞めることだけが、責任のとり方なのかどうか疑問に思うこともありますし、トカゲのしっぽ切りであれば、かえって無責任なことになってしまいます。
 確かに起こしてしまった不祥事に対しては、厳しく反省し、受け止めなくてはなりません。だからといって、その人の人生や家族のことを考えると、そこまで簡単に切り捨てていいのかというと、それは違うと思います。

 ここまでくると、「気にくわないヤツは切り捨てて、どこか目の届かないところに捨ててしまえ」とストレスのはけ口に利用しているようにさえ、思えてなりません。最近のワイドショーでは、市井の人々さえ興味の対象にされていますから、いつその矛先が自分に向けられるかもしれないと思うと、怖いですね。それは学校のいじめ問題の構図と、全く同じもののように感じられます。
 以前、サッカー日本代表監督であったイビチャ・オシム氏が言われた、「誰かを『不要だ』などと言う人間は、いつか自分もそういう立場に陥るようになる。人生とはそういうものだ。」という言葉を、思いだすことが多くなりました。


 阿弥陀如来は、「あなたのことを、決して捨てることはない」と誓われた仏様です。だからといって「何をしてもいいんだ」と開き直って良いということではありません。私たちの先輩方は、大きな慈しみと同時に、大きな悲しみを持ちながら呼びかけられている阿弥陀如来の心を受け止めた時に、深く頭を下げ、謙虚にわが身の愚かさに向き合われたのです。自分の過ちを忘れることなく、そこから知らされた気づきを大切にされたのです。そこにこそ、自分の人生に責任を持つという態度があるのではないかと、教えられるのです。


 もうそろそろ、「辞めたらどうですか」と言葉を、流行語のように軽々しく言うのは、やめたらどうでしょう。それよりも、責任をとるとはどういうことなのかを、真摯に考えてなくてはならないと思うのです。■