2011(平成23)年4月号 



 東北地方太平洋沖地震では、多くの人々のいのちが失われました。そして、今でも苦しんでおられる方がたくさんおられます。しかし、そんな中でも災害発生時には、ほとんどの方が礼儀正しく、周りの人を思いやり助け合って、行動されました。その姿は海外にも伝えられ、中国、アメリカをはじめたくさんの人たちが感動し、「日本はすごい」「日本の文化は素晴らしい」と賞賛されたそうです。私たちは、先輩方が作り上げてきたこの大切な文化を、守り伝えていかなくてはなりません。
 さて、大地震から約一ケ月がたちました。未だに復興の目処も立たず、被災者の方々のご苦労は大変なものがあるでしょう。しかし、もの凄い勢いで集まった義援金や援助への取り組み、そして被災地での助け合い、支え合う温かな交流を見聞きするたびに、感動してついつい涙ぐんでしまいます。仙台市で被災された方の「同じマンションに住みながら、これまで知らなかった者同士がいたわりの言葉をかけ合い、食料が手に入ると皆で分け合い、学生はボランティアに活躍し、できることをみんなが取り組んでいます」という新聞への投稿を読むと、やはり人間は一人では生きられないのだということ、共に生きる中にこそ温もりや喜びが生まれるのだということを知らされます。
 




  先日テレビを見ていましたら、ラーメン屋さんの有志の方々が「被災地の人たちに、あったかいラーメンを食べさせてあげたい」と、ラーメン義援隊を結成し、避難所に駆けつけたという特集がありました。義援隊の皆さんが下準備にとりかかると、避難所の人たちも手伝いはじめます。中には、店を津波で流されたラーメン屋の店長さんが、うれしそうにチャーシューを切る姿もありました。準備が終わるといよいよラーメンをふるまう時間がやってきました。長い行列ができています。身体も心も温まるラーメンを食べる避難所の人たちは、本当にうれしそうです。でも、一番うれしそうだったのは、実はラーメン義援隊の人たちでした。
「これだけ美味しそうに食べてもらったら、また来ないわけにはいかないよね。」
 そう語る義援隊の方の笑顔が、一番輝いていたのです。やはり人間には、「自分がしたことで、人が喜んでくれる」ということは、本当にうれしいことなのですね。近頃は、自分の楽しみや喜びを追い求める時代ですが、自分が人の役に立っている、喜ばせているという充実感や、「あなたがいてくれて、うれしい」と言われた時の手応えこそが、人間の本当の喜びなのではないかと考えさせられました。
 藤場俊基という先生が、

「喜んでくれる人がそばにいる。喜ばせてあげたい人に囲まれている。そしてその人たちに喜んでもらいたいという気持ちになる」というのは、とてもすてきな関係だ

と言われています。そして、

 大乗仏教とは、「自分が何かをすることによって、自分自身が喜ぶ」ことよりも、むしろそれによって他の人のところに喜びが生じるという視点から始まった仏教だと言えます。

とも言われています。私たちは、自分の喜びを追いかける時代に流されて、大切なことを忘れていたのかもしれません。


 






 とはいえ、人間関係は難しいものですから、人に喜んでもらおうとしたことが裏目に出たり、すれ違ったりする場合もあります。うまく伝わらないことで、相手を責めることさえ起こりかねません。しかし、「自分がしたことで人が喜んでくれることを喜びとする」という営みの出発点は、自分の充実感ではなく、相手への敬いの心であることは、忘れてはならないのでしょう。

 今回の大震災は、本当に悲しい出来事です。被災者の方々のご苦労は、私なんかが軽く語ることなどできません。そんな中でも、自分にできることを考えること、この悲しみの中から大切なことを見つけ出すことをしなければ、ただ悲しいだけにしかなりません。深く味わいながら、向き合っていきたいと思います。■