2011(平成23 月号)  
 
 
 
 
 

人気グループ、スマップのリーダー中居正広くんが、お忍びで東日本大震災で被災した避難所を訪れ、炊き出しや差し入れを行いました。その際、彼は「偽善と言われるかもしれないけれど、被災者の人たちの笑顔を見て、行って良かったと思いました。」と言ったと、伝えられました。

  中居くんに限らず、近頃は「人が喜ぶことをしたい」と思っても、「偽善」だと言われることが、大きなブレーキになっているようです。確かにネットやマスコミでも、安易な否定のコメントばかりが目につきます。勿論、独善的であったり、被災者を利用しての個人的なアピールであるならば、困ったものです。
 しかし、昔はもっと気軽に、人助けができていました。ところが、人助けするのにも、周りを気にしなくてはならない時代になったということなのでしょうか。考えてみれば、話題になりました、名前を伏せてランドセルを寄贈するタイガーマスク運動≠焉A「偽善と言われたくない」「でも、人が喜んで
くれることがしたい」という人が見つけた新しい手法だったからこそ、広がったのかもしれません。

 
 

児童文学研究者の清水眞砂子先生は、

「このごろ何かを否定するのと肯定するのと、どっちが楽なんだろうとよく考えます。私は若いころから肯定するほうが楽で、否定するのは大変だと思っていました。けれども、そうではないのではないかとだんだんに思うようになりました。とりわけ人生を肯定するのは大変なことです。/人生なんてどうせと言う人と、人生もまんざらではないよと言う人と、どちらが大変か/といったら、人生まんざらではないよという人のほうが、恐らく何倍ものエネルギーを使って生きているのではないかと思います。」
          (『幸福に驚く力』清水眞砂子 かもがわ出版)
と言われています。

 人の行為を「偽善だ」というのは簡単です。しかしどんなに安易な言葉であっても、人の心を傷つけるには、十分な言葉です。それでも避難所に行った中居くんは、大変なエネルギーを使ったことでしょう。でも、「どうせ人間なんて」「どうせ大人なんて」「どうせ生きてたって」と安易に否定していく人生では、中居くんが出遇った笑顔を見ることは、できないはずです。

  確かに、私の中には偽善的な部分はたくさんあります。親鸞聖人は、「虚仮不実」の我が身だと、もっともっと深く自分を見つめておられます。その身を抱えながら、それでも「人生もまんざらではないよ」と言える人の言葉だからこそ、深くて重いものとして響いてくるのではないでしょうか。親鸞聖人の言葉は、そんな深重な言葉として、私の背中を押して下さるのです。■