2012(平成24)年4月号  
 



皆さんは、毎日お仏壇の前に座って、阿弥陀様に手を合わせておられますか?昔は、当たり前のようにあった風景が、気がつけば珍しいものになってしまいました。阿弥陀様に手を合わせるということは、実は、人間が生きる上において本当に大切なことなのです。
 極楽寺では、『毎日、お参りしましょう!キャンペーン』を行って、お参りの大切さを再確認していきたいと思います。


さて近頃では、暗い、怖いというイメージが定着してしまったお仏壇ですが、生活の中に金色や赤色、電球というものがなかった昔は、家の中で一番明るい場所だったのです。
 金子みすゞさんの「お仏壇」という詩には、

「朝と晩とにおばあさま、いつもお燈明あげるのよ。
  なかはすつかり黄金だから、御殿のやうに、かがやくの」

とあります。昔の人は、お仏壇の明かりに照らされて、生きておられたのです。ところが、近頃は自分を輝かせようという時代ですから、自分を照らして下さる光が見えなくなってしまいました。

 
 

幕末の剣豪で、北辰一刀流の創設者千葉周作が若い頃のお話。武者修行の旅の途中、今の愛知県三河の、ある屋敷にお世話になりました。

その屋敷では、夜になると若い衆たちが、これといった道具もなしに、沢山の貝や魚を取ってくるのです。たずねると、潮がひいてできる潮溜まりに、取り残された魚を手づかみにするとのこと。「よければ、案内いたします」というので、早速出かけることになりました。 なるほど、潮がひいてできる潮溜りに、魚や貝が取り残されていて、面白いように獲れます。調子に乗って、沖へ沖へと進んでいくと、しばらくして案内人があわて出しました。聞けば、どちらが岸か、沖かがわからなくなったと言うのです。星を見ようにも、あいにく空は曇っていますし、幕末ですから外灯なんてありません。松明を全部つけても、手元は明るくなりますが、闇はますます暗くなります。
 そんなとき、周作の耳にかすかに千鳥の鳴く声が聞こえました。「昔江戸城を作った太田道灌が、物見に出かけ、あまりの暗さに潮の干満がわからなくなった際、千鳥の声を聞いて干潟のあることを知った」という故事を思いだし、その声をたよりに進み、何とか岸にたどり着くことができました。

若い衆が、口々に周作の博識ぶりを讃えていると、話を聞いていた屋敷の主人が、突然怒り出したのです。

「長年浜辺に住みながら、お前たちは何と馬鹿者揃いか。今夜は幸い千鳥が鳴いたからいいものの、鳴かなかったらどうなる?そんな時には、まず松明を消すんだ。なのに、松明を全部つけたという。あきれ果てた馬鹿どもだ。

よく考えてみろ。松明をつけても、足元が明るくなるだけで、遠くはますます暗くなる。そんなときには、松明を全部消せば、どんな闇夜でも、あるかないかの光に目が慣れて、沖と岸との見分けくらいは、自然とつくものだ。」

これを聞いた周作は、目の覚める思いがしたそうです。

 
 私たちは、自分の人生を輝かせようとすればするほど、手元ばかりに気を取られ、どこに向かって進んでいるのかを、見失っているのではないでしょうか。

親鸞聖人は、そういうあり方を、自力と言われたのです。それは、歩みを積み重ねるほど、「俺はこれだけやってきた。」「俺の道に間違いはない。」「それを認めると、俺が今までやってきたことが無駄になる。」と、頑なに自分を主張することで、迷いを深める生き方でもあります。

自己主張という松明を消して、阿弥陀様の光に照らされた自分の姿を見つめたときに、歩むべき方向が見えてくる。それを拠り所にする生き方を、他力の生活というのです。 


 一日のうち一度でも、お仏壇の前に座って、お念仏申す。阿弥陀様の光に照らされて、自らをふり返る。それは、人間が生きる上で、本当に大切な時間ではないでしょうか。■