2014(平成26)年6月号 
 



皆さんは、東京スカイツリーに行かれたことはありますか? 私は昨年ご縁があり、登ってきました。その大きさにも圧倒されましたが、地上350mの展望デッキまで約50秒で運んでくれるエレベーターの、静かで快適なこと! 驚くばかりです。 




 スカイツリーに、あったもの


さて、東京スカイツリーの入り口フロアには、ツリーの基本理念をあらわした様々なオブジェが展示されています。その中のひとつに、「日本と世界を結ぶ新たな文化を咲かせる」という想いを、日本伝承の飾り結びで表現されたものがあります。その飾り結びは、浄土真宗のお坊さんなら見覚えある形。実はこれ、葬儀や大きな法要の際に住職が着る、七条袈裟につける組み紐、「修多羅」そのものなのです。

この組み紐を、装飾として袈裟に垂らす風習は、中国から起こったものだと言われます。「修多羅」とは、元々インドのサンスクリット語スートラの読みに漢字を当てはめたもの(当て字ですね)。意味は、縦糸です。どうしてこの組み紐を「修多羅」と呼ぶのかについては定かではありませんが(縦に垂らす糸だからでしょうか)、「修多羅」という言葉には、もう一つ意味があります。それは仏様のみ教え、仏法という意味です。ではなぜ、縦糸が仏法をあらわすのでしょう。実はそれが、今回のテーマでもあるのです。


 
  修多羅
 



 縦糸が決める、人生という織り物 


 機を織る人に聞きますと、いくら横糸を連ねても、縦糸がきちんと張られていなかったら、織物はこんがらがってダメになるそうです。
 それは人生においても同様です。私たちは、お金を儲けたり、いろんな体験をしたりと人生の横糸を積み重ねていますが、いくら儲けても、かえってそれで身を滅ぼすこともあります。体験が邪魔をして、ものの見方が狭くなることもあります。
 つまり、いくら体験という横糸を積み重ねていても、人生の縦糸(人生の方向・より所)がしっかり張られていなかったら、できあがる人生の織物も全く違うものになるのです。ものの見方、受け取り方も、大きく違ってくるのです。

 

 私たちの先輩方は、仏法を過去・現在・未来を貫いて変わらない真実の縦糸としていただかれ、人生を歩まれました。それは、具体的に言うと、常に阿弥陀様と語りながら、相談しながら人生を歩むというということです。自分の都合よりも、阿弥陀様のものの見方を優先する生き方です。そこから豊かな人生の織物を、織り上げられたのです。
 ちなみに、仏様の教えが書かれた書物を「経典」といいますよね。「経」とは縦糸という意味を持った漢字です。




     
 




お仏壇は、縦糸であり軸である

 お仏壇とは、まさしく人生の縦糸として、軸として、私たちの家庭に用意されたものでした。
 自分の思いを軸にするならば、自分の都合の良いことしか喜べません。お仏壇とは、自分の都合という枠組みを点検し、生き方を見つめる場でもあるのです。
 お仏壇の前に座って、自分を見つめる時間を作る。阿弥陀様と語りながら、悲しいことも、苦しいことも、ご縁として受け止め味わっていく。
 都合の良いことだけを喜ぶ生き方と、人生を丸ごといただく人生では、その織り上りは大きな違いとなるはずです。広がる景色は、まったく違うものになることでしょう。■