いよいよ、吉田松陰の妹・文を主人公としたNHK大河ドラマ『花燃ゆ』が、1月4日よりスタートします。文の姉・寿子とその夫・楫取素彦(寿子没後、文と再婚)夫妻とご縁のある極楽寺は、様々な方の来訪や取材があり、住職は長門市の実行委員会のお手伝いと、大忙しの一年になりました。
皆さん、ぜひご覧下さいね。極楽寺では、今まで裏番組の『世界の果てまでイッテQ』を見ていたのですが、一年間「イッテQ」は禁止とし、日曜日夜8時は『花燃ゆ』を見ることを子どもたちにも通達しております。
さて、極楽寺のある長門市三隅は、実は楫取夫妻と縁の深い人々がたくさんおられます。
「シベリアシリーズで有名な画家の香月泰男」「長州藩の財政改革を果たし維新の礎を築いた村田清風」そして、「明治・大正期に山口県初の女医として医療活動や社会貢献活動に尽力された中原篷」の三人を「三隅三賢人」と顕彰しているのですが、中原篷の父・復亮は楫取の群馬時代の部下でした。篷自身も、群馬で幼少から教育を受けています。
また村田清風は、楫取素彦と大変親しい間柄でした。当時藩の重鎮であった清風は、若き素彦に期待し、江戸留学にあたっては餞別を送り「あの先生のもとで学べ、あの本を読め」といった手紙を書いています。清風没後、素彦は吉田松陰から、清風の伝記を書くように薦められました。素彦の多忙と資料不足により、果たすことはできませんでしたが、松陰は素彦に対し「お前は、清風先生の伝記を書く資格がある。いや、お前が書くべきだ。」と思っていたのでしょう。
その後、幕府恭順派が長州藩の政権を握った時、倒幕派の素彦は牢に入れられますが、その際一緒だったのは、村田清風の息子・大津唯雪でした。彼は、寿子亡き後、素彦に文との再婚を薦めています。
そして、先日発見され、発刊された素彦の伝記を書いたのは、清風の孫・村田峯次郎でした。つまり素彦は、村田家と三代にわたり親しくしていたのです。しかし、清風の伝記を書こうとして断念した素彦は、まさか清風の孫に自分の伝記を書いてもらうとは思ってもいなかったことでしょう。
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