2014(平成26) 8月号)  
 
 
 
 
 



インターネットには、質問を書き込むと、いろんな人が親切に答えてくれるという「Yahoo知恵袋」や「教えてgoo!」といったサイトがあります。生活の知恵から、冠婚葬祭、芸能界の裏話、電化製品の使い方、政治問題に至るまで、いろんな質問が書き込まれ、それぞれに回答が書き込まれるのです。その中に、こんな質問がありました。



それって「キモい」?


 「私はいま十三歳です。十六歳の兄と両親との四人家族で暮らしているのですが・・・、昨日学校に行ったとき、友人二人から「あんたの両親マジやばい、キモい」と言われてショックを受けました。二人は先日、近所のショッピングモールで、手をつないで歩いていた私の父と母を見かけたというのです。


 「いい年こいたおじさんとおばさんが手とか繋いでヤバい」と嫌悪感丸出しで言われ、「若いときはいいけど、年とったら無理なんだよ〜」と言われました。うちの両親は仲がよく、外でも腕を組んだり手を繋いだりしています。私も父と母がとても仲が良いことが嬉しいし、尊敬もしていたのです。

  私の家族は異常なのでしょうか? 友人の言うとおり、キモいのでしょうか?もうどうしたらいいのかわかりません・・・。こんなこと家族には言えません。どうぞ助けて下さい。ケンカもするけど家族が大好きなので、不安で眠れないのです。」



誰に相談するかで

 質問をした彼女にとって、両親が仲良くしている姿は、当たり前でうれしいことでした。ところが突然、友だちから「キモい」と言われたのです。思春期の中学生にとっては、本当にショックな言葉だろうと思います。


  しかし、「キモい」というのは傲慢な言葉ですね。「キモい」とは、「気持ちが悪い」の若者言葉ですが、自分の感覚だけの言葉ですから、反論のしようがありません。いろんな人が、いろんな環境の中で、違う考え方、好み、文化、習慣の中で生きているのにもかかわらず、自分の感覚だけが正しくて、そうでない者は「キモい」というのは、傲慢で失礼な態度です。にもかかわらず、そんな言葉が日常的に使われているのですから、本当に怖ろしいことだと思います。


 では、この質問に対して、どんな答えが返ってきたのでしょう。もし、「確かにキモいよね〜」なんて言葉が書き込まれていたら、思春期の彼女は傷つき、せっかくの家族の絆が壊れてしまうのではないか、などと思っていたら・・・、「
あなたのことがホントうらやましい〜!!」「俺の理想の家族です。全然キモくないですよ〜!」とか「手をつなぐことに年齢制限なんてあっちゃたまりません!!」といった書き込みが、何百人という人からあったのです。


  彼女は、その書き込みが、心からうれしかったのです。「たくさんの励まし有り難うございました。落ち込んでいた時は、逆に両親から心配されました。早く立ち直らなきゃなと思います。」と返事を書いていました。たくさんの人からの言葉が、家族を思う彼女の心の支えになったのです。


 人間には、いろんな文化や習慣、好みがあります。考え方も違います。そして、生きていく中で周りからいろんな声が聞こえ、迷いも出てきます。それは多感な中学生だけではありません。それだけ周りの状況に流されやすいのが、私たちではないでしょうか。その時、誰に相談し、何を道しるべにするのかで、ものの見方、考え方、生き方は、大きく違ってくるのです。


  では、皆さんは、自分のこれまでの価値観が揺さぶられるような体験をしたときに、誰に相談し、誰の生き方を道しるべにされますか?これは本当に大切なことです。相談する相手によっては、大変なことにもなりかねません。


 お念仏のみ教えをいただかれた私たちの先輩方は、阿弥陀さまに相談し、親鸞聖人の生き方を道しるべとされました。お仏壇の前に座り、手を合わせながら、「阿弥陀さまはどう思われるだろうか。」「親鸞聖人は、どうされるだろうか」と相談しながら人生を歩まれたのです。まさしく、仏法を人生の縦糸として、軸とされたのです。



同調圧力

 日本人は、「同調圧力」に弱いと言われます。自分が所属するグループの多数意見が普通だ、みんなと違ったら恥ずかしい、仲間はずれにされないかという意識が強いというのです。考えてみればそういうことって、よくありますよね。声の大きな人に逆らえない。場の空気を読まなくてはならない。みんなと違うと気にかかる。周りの空気がいつも正しいのであれば、それでいいのかもしれませんが、そうではないからイジメもなくならないのです。
 「赤信号 みんなで渡れば こわくない」ビートたけしさんの言葉は、同調圧力に弱い私たちを的確に指摘しています。



  だからこそ、自分のいる世界の外側の声を聞いていかなくてはならないのでしょう。それは単に、日本の外からの声を聞くということではありません。外国の常識がいつも正しいとは決して言えないのです。現代社会において世界的に重要視されているのが、スピード・合理性・経済性です。現にそれが、人間性や、長い歴史を通して伝えられてきた大切な心を壊しているではありませんか。


 時代・状況を超えて大切にしなくてはならないものがある。それを知るには人間を超えた世界からの呼び声に耳を傾けなくてはならないでしょう。人間、つまり煩悩を超えた世界からの呼び声を仏法と言います。その声に相談しながら、支えられながら歩んでこられた歴史が、お仏壇には込められているのです。



  確かにみんなと違うことをするのには、勇気がいります。流されてしまい、できないことだっていくらでもあります。しかし、阿弥陀さまと相談しながらの人生には、痛みがあります。悲しみが生まれます。ブレーキがかかります。その痛みや悲しみは、実は阿弥陀さまの心を大切にしていることの裏返しでもあるのです。場の空気に流されて、人をイジめ、傷つけても何も感じない生き方は、おぞましく、虚しい人生ではないでしょうか。


  阿弥陀如来や親鸞聖人は、できるできないを問われる仏さまではありません。その心に背き続ける私たちを、それでも慈しみ、悲しみながらも包み込んで下さる仏さまなのです。だからこそ、かけられている願いを、心をいただきながら自分の生き方を見つめなければ、周りに流され、大切なことを見失ってしまいかねないのではないでしょうか。■