2016(平成28)12月号)  
 
 
 
 





時間が経つのは早いもので、恒例の一年を振り返る季節がやってきました。色んなことがありました。オリンピックに大興奮!パラリンピックに驚嘆と感動!そして、広島カープの二十五年ぶりのリーグ優勝!(日本シリーズは残念でしたが、よく頑張りました!)SMAPの解散報道もあり、まさかのイギリスのEU離脱と、トランプ氏の大統領当選。(グローバリズムが生み出した、格差社会への怨念の現れなのでしょうか。)
 一つひとつについて書き始めたら紙面が足りませんので、心に残った出来事について振り返ってみたいと思います。

 

【熊本や鳥取で、大きな地震が】

四月に熊本で、十月には鳥取でも大きな地震が起こりました。やはり、私たちは自然の中に生きていることを忘れて生きているのだと、自然災害が起こる度に教えられ、同時に思想家の藤田省三先生の
「山とは、本来厳しさと優しさというものが共在している場であった。恵みを受けると同時に山は、命を奪われるほどに、恐ろしい場所でもある。そこから人々は、謙虚であることを学んできた。ところが観光道路が頂上まで通されたことにより、山は危険なものではなく、安全な遊園地の延長になってしまった。」という言葉を、いつも思い出します。私たちは、自然に対する謙虚な姿勢を忘れ、人間中心の傲慢な生き方にどっぷりと浸っているのでしょう。

東日本大震災の後、様々なところで「神様は、どうしてこんな残酷なことを」「もう、神も仏も信じない」という言葉が聞かれました。でも、自然への敬意と畏怖を忘れた人間を、現実逃避させ、ますます傲慢にするのが、神仏なのでしょうか。都合よく、自然も神仏も利用しているだけのことなのでは。
 仏様とは、苦難の現実の中で、私の傲慢さ気づかせ、目覚めさせ、導いて下さる方をいうのです。

 


【築地市場、豊洲移転問題で大騒ぎ】

施設の老朽化と狭さを理由に、豊洲新市場に移転するはずだった築地市場ですが、土壌問題への東京都の対応に様々な問題が明らかになったことで、迷走しています。一体どうなるのでしょう。

実は、この築地という地。元々は浄土真宗のご門徒によって、埋め立てられた場所だということをご存知でしょうか。江戸時代、浅草に本願寺の別院があり「江戸浅草御堂」と呼ばれていました。ところが一六五七(明暦三)年、江戸の町に「明暦の大火」と呼ばれる大火事が起こります。浅草御堂は焼失。しかし幕府の区画整理のため、もとの場所への再建が許されません。

その替え地として用意されたのが、八丁堀の海上でした。海の上が代替え地というのも、ヒドい話ですよね。しかし、佃島のご門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立て、土地を築きました。それが「築地」という地名の由来となったのです。何とすごい、門徒パワー!

 市場が来たのは、関東大震災の後の一九三三(昭和八)年ですから、元々は本願寺別院移転問題で生まれた土地だったのです。


 

プロ野球 清原・元選手が覚醒剤所持で、
       ジャイアンツの現役選手が、野球賭博で逮捕

  北海道日本ハムファイターズの優勝で幕を閉じた、プロ野球。カープも頑張った!大谷翔平選手は凄かった!しかし、シーズン前には、清原和博・元選手が覚醒剤所持で、ジャイアンツの現役選手が野球賭博で逮捕されるなど、暗いニュースもありました。

プロ野球選手は、ファンあってのもの。ファンに支えられての野球人生なのですから、「オレの人生は、オレのもの」と、自分勝手に、粗末に扱えないはずです。
 広島カープの新井貴浩選手は、温かく支えてくれるファンへの恩返しのために精一杯プレーしたことが、MVP(最優秀選手賞)につながった言います。そして、「誰かのために頑張ろうと思う時、人は一番力を出すことができる」ことがわかったとも。
 「オレのもの」なら、自分が投げだせば、それで終わり。でも、「誰かのために」なら、自分の思いだけでは投げだせません。それが励みとなり、踏ん張る力にも、生きる力にもなるはずです。

 考えてみれば、私たちの人生も、様々な人から、そして阿弥陀様から願いをかけられて、今ここにあるのでした。だからこそ、失敗だらけでも、間違いだらけでも、この人生を大切に歩まなくてはならないのだと教えられるのです。

 


 

相模原市の障害者施設で、怖ろしく、
                       とても悲しい殺傷事件が

 

相模原市の障害者福祉施設で、入所者十九名が殺害される事件が起こりました。人間を目先の「役に立つか、立たないか」で判断するような、安っぽい優生思想がそこにあるとしたら。そして私たちもそんな考え方に染まってはいないかと考えると、とても他人事とは思えません。


さて、ここではあえて事件について語るよりも『弱さの思想〜たそがれを抱きしめる』(高橋源一郎+辻信一)という本より、とても感動した言葉を引用して、事件への抗議としたいと思います。

 リーズにあるマーティン・ハウスは、イギリスで二番目に古い子どものホスピスです。/だいたいどの親も、子どもが「もう治療ができない」と言われてここに来るんです。/

死んでいく子どもっていうのは最弱の存在でありながら、周りを変える力があるんです。真ん中にいる子どもたちに、みんなはやさしい視線を注いでいる。そして、みんな物静かで、たぶん考えているんです。いろんなことを。そして不思議なことに微笑みを絶やさない。/死んでいく子どもの前では、大声でどなったり、自己中心的なことを言ったり、聞きかじりのことをしゃべったり、くだらないうわさ話なんて、恥ずかしくてできないでしょう。/そういう力がそこかしこにあり、元をたどればそれは、子どもたちが発しているものだとわかる。そこに存在しているだけで強い影響力を発することができるんですね。だって寝たきりの子どもも多いんですよ。にもかかわらずポジティブな力を親だけではなく、周りに及ぼしていく。すごいことですよね。/

子どもを亡くすのはとてもつらい経験だけれども、そのことが親の人生をものすごく豊かなものにしたのだと思いましたね。/そこでは深く考え、深く感じることが起こるんです。つまり、治療もできない子どもたちとの時間、残り少ない時間を過ごすには、時間をどう使ったらよいかを深く考えさせてくれる。「どうせ死ぬのになぜ生きなければならないのか」というシンプルで深い問いに、ホスピス全体がひとつになって答えを出そうとしている感じですね。/

 

障がいのある二人の子どもを持ったご夫婦がいるんですが、/「大変ですね」なんていうのも失礼なくらい、困難な状況なんです。お子さんが大きくなって、二人とも年をとってきて、おんぶして運ぶのも大変。思い切って「お子さんのことをどう思いますか」って聞いたら、「この子たちが生まれてきてくれて本当によかった」と。「普通に生きて健常な生活をしていると、どれだけ傲慢になっていたことか。彼らがいたおかげで傲慢にならずにすんだ。」って両親は話されていました。これはほかの親たちにも共通しています。
      『弱さの思想〜たそがれを抱きしめる』(高橋源一郎+辻信一)

 

その人がいるだけで、問いが突き付けられ、深められ、育てられる。私の生き方そのものが揺さぶられる。そんな出遇いがあることを、私たちはもっと知らなくてはなりません。

新たな年を迎えるにあたり、日々の営みの中にある出遇いや別れを通して、「問い」を感じられるような心豊かな一年を送りたいと思っています。■