2017(平成29)年12月号 



 昨年、四年間十三回にわたり『極楽寺だより』の紙面にて行っておりました、『毎日お仏壇に、お参りしましょうキャンペーン』が終了いたしました。
 「えっ?そんなことをしていたの?」と言われる方もおられるかもしれませんが、そんな声には挫けずに、また新たなキャンペーンを行うことにいたしました。
 今回は、題して「お念仏を声に出して称えましょうキャンペーン!」です。 浄土真宗では、声に出してお念仏を称えることを、とても大切にします。そしてそれは、私が称えた念仏ではあるけれども、阿弥陀様からの呼び声であると受け止めなさいと教えられるのです。

 そりゃ、そうですよね。生まれてから、誰にも教えられずに「南無阿弥陀仏」と言う人なんか、いませんよね。みんな誰かの真似をして「南無阿弥陀仏」と言っているわけです。そして、その前の人は、その前の人を。その前の人は、その前の人を真似て、お念仏を称えたわけですから、遡れば、親鸞聖人にまで行きつき、七高僧様、お釈迦様、そして阿弥陀様まで行きつくわけです。
 その阿弥陀さまからの呼び声が、長い歴史を通して、いろんな人を通して、今ここに、私の口からお念仏が出ている。これって凄いことだと思いませんか?

 私たちの先輩方は、お念仏を称えながら、阿弥陀様の呼び声を聞き、阿弥陀様の心と出遇っていかれたのです。その中で、育てられ、目覚めさせられ、導かれながら、苦難の人生を阿弥陀さまと共に生き抜かれ、お浄土へと往生していかれたのです。

 ところで皆さんは、お念仏が身体に染み込んでいるようなお年寄りと出遇われたことがありますか。日常生活をお念仏と共に生き抜かれた方って、凄い存在感ですよ。圧倒的なリアリティーがありますから。もう「染み込んでいる」という表現がピッタリ。一朝一夕では染み込みませんからね。とても適わないなぁと思わず溜息が出るほどです。そんな方々が、昔はたくさんおられました。

 ちなみに、よく漫才や落語で笑いをとった時に、「ウケる」というでしょう?あれは、身体にお念仏が染み込んだ方々から生まれた言葉だという説があることを、ご存知ですか。お説教の際に、「なまんだぶ、なまんだぶ」と聴聞されている方々がお念仏申される。お話のクライマックスで、感動的な場面になるとまた、「なまんだぶ、なまんだぶ」と聞こえてくる。これを「受け念仏」と言うのですが、「今日は、受け念仏が多かったなぁ」「今日は、受けが多かったなぁ」「今日は、ウケたなぁ」と変遷していく中で、漫才や落語で笑いをとることを「ウケる」という言い始めたのだとか。


 近頃は、声に出してお念仏を称えることに、気恥ずかしい思いをされる方も多いようです。ですから、まずは、自分に聞こえるくらいの声から始めてみるというのはいかがでしょうか。

 長い歴史を通して、私に呼びかけられている阿弥陀さまの呼び声を、心を味わっていく。そこに、思いもよらない豊かな世界が広がっていくことを、先に歩まれた方々の後姿を通して教えられています。■