2017(平成29)年8月号 



浄土真宗では、声に出してお念仏を称えることを、とても大切にします。そしてそれは、私が称えた念仏ではあるけれども、阿弥陀様からの呼び声であると受け止めなさいと教えられるのです。つまり、お念仏を称え、そのお念仏に込められた阿弥陀様の呼び声を聞き、心を聞くのです。

 

 小説家の星新一さんを、ご存知でしょうか。短編小説よりも更に短い小説、ショートショートの分野を開拓した、SF作家の第一人者です。その星さんに『服を着たゾウ』という作品があります。

 

 ある催眠術師がふざけて、動物園にいるゾウに催眠術をかけました。
「お前はゾウではない。人間なのだ。人間の心を持ち、人間として考え、人間の言葉が話せる。いいか、お前は人間なのだ。」
催眠術師は、遊びのつもりでしたから、振り返ることもなく、その場を立ち去りました。しかし、ゾウには変化が起こったのです。
「はて、どうして私は、こんなところにいるんだろう。すぐに、ここから出なくては。」
檻のカギは、人間なら容易く開けられるもの。人間だと思い込んだゾウは、街に出ます。そして、まず洋服屋に入りました。
「裸で外を歩くのはみっともないので、洋服が欲しいのです。」
主人は、人間の言葉を話すゾウにビックリ。しかし、とても礼儀正しく、おとなしい。安心した主人は考えました。
「これは何かの宣伝になるかもしれない。」
そこで、特注のゾウに合った洋服を仕立て、知り合いの芸能プロダクションを紹介してくれました。

 経営者は、大喜びです。人の言葉をしゃべるゾウ。これは、お金になりそうです。こうして、ゾウはタレントに。すると、たちまち人気者になりました。急に売れ出したタレントは、すぐに天狗になりがちですが、このゾウの場合は、そうはなりません。熱心に仕事をし、くだらない遊びはせず、ひまがあると読書にふけります。ですから、お金も溜まりました。
 すると、「遊園地を経営しないか。」という提案がありました。「やってみましょうか。」ゾウは社長になったのです。しかし、社長になっても威張ったりしません。部下には思いやりがあり、お客さんには心からのサービスをします。当然、利益があがります。ゾウはその利益で、お菓子の会社や、おもちゃの会社も作りました。とても良心的な経営で、利益の中から、恵まれない人たちに、惜しげもなく寄付をしました。ゾウと会って話した人は、みなそのしっかりした考え方に敬服し、銀行も信用してお金を貸す。ゾウの会社は発展する一方です。

 ある人がゾウに聞きました。
「あなたは、大変な成功をされました。その秘訣は、何でしょうか。」
「別に心当たりもありませんが、ムリに上げればひとつだけ。」
「それは、一体何でしょうか。」
「私の心の奥に、お前は人間だという声がひそんでいるのです。でも、人間とは何かが私にはよくわからなかった。そこで、本を読んで勉強し、考えたのです。人間とはどういうものか。人間なら、何をすべきか。常に学び、考え、その通りにしただけです。私が世の役に立っているとすれば、このためかもしれません。あなた方は、自分が人間であると考えたことがありますか。」
 指摘された質問者は口ごもりました。そういえば、そんなことは考えたこともない。皆さんは、考えたことはありますか。
 私たちは、催眠術師にたのんで、「お前は人間だ」という催眠術をかけてもらった方がいいのかもしれません。


 こんなお話です。ゾウはいつも「お前は人間だ」という心の声を聞きながら、「人間とは」「人間なら」と、考え続けました。心の声を聞くことで、導かれ、育てられたのです。

 実は、私たちの先輩方も、阿弥陀様の呼び声を聞きながら、導かれ、育てられ、人生を歩まれたのでした。
 「南無阿弥陀仏」の「南無」とは、帰命(敬い、信じて順うという意味)と訳されます。これを親鸞聖人は、「帰せよの命」という意味だと受け止められました。私が信じて順うのではなく、阿弥陀様からの呼び声と受け止められたのです。我々の心の奥底から、呼びかけられる声だと。
 阿弥陀様が導いて下さる本当の人間の生き方、人間が本当に求めるべき世界を、聞いていく。「敬われ、尊ばれる仏と成るべき人生を歩んでくれよ。そして、共に仏と成るべきいのちとして、敬い合ってくれよ。」という願いが込められた呼び声を、聞く。「人間とは」「人間なら」という問いを、阿弥陀様と相談しながら、お浄土への人生を歩まれたのです。


 催眠術に頼む必要はありません。私たちは、すでに呼びかけられているだと教えられるのです。声に出してお念仏称えながら、お念仏に込められた阿弥陀様の呼び声を聞いていきたいものです。■