2019(令和元)年6月号





「平成」が終わり、五月から新たに「令和」という時代が始まりました。それに伴い、メディアでは「平成」という時代を振り返る特集が数多くありました。皆さんにとって、「平成」とはどんな時代だったのでしょうか。それぞれの立場によって見方は様々でしょうが、私には「バブル景気の後始末」の時代だったのではないかと思うのです。バブルが生んだ不良債権処理に追われ、「失われた20年」と呼ばれる景気低迷期が訪れます。就職氷河期を迎え、非正規雇用労働者が誕生。格差は広がり、新たな貧困層を生み出しました。次の世代に、大きな負担を強いてしまったのです。

 「バブル景気」とは、後から振り返って名づけられた言葉ではありません。リアルタイムで呼ばれていたものでした。「実質以上に膨らんだ、中身のない泡(バブル)のような経済状況」だということも、いつか弾けるものだという認識も、みんなが持っていたのです。にもかかわらず、「まだ、大丈夫だろう」と浮かれていた。考えてみれば、怖ろしいことだと思います。
 薬師寺元管主の高田好胤師は、日本の高度経済成長期に「物で栄えて心で滅びぬために」という言葉を残されましたが、本願寺の大谷光真前御門主は、バブルを振り返り「心が滅びたから物が栄えたのではないか」と言われています。なるほど、そうなのかもしれません。

            

 思想家の内田樹先生は、当時大学の助手で、バブルとは無縁の生活をしておられました。そんなある日、高校のクラス会に出席すると「内田は株やらないのか?」と聞かれたので、「お金は額に汗して稼ぐもんだろ」と答えると、みんなに大笑いされたそうです。「バカだよ、こいつは。金が地面に落ちているのに拾わないっていうんだから」と。(『昭和のエートス』内田樹)
 目の前のお金を拾い集めることばかりに夢中で、それを手にするまでの経緯や態度、人生に対する向き合い方を捨ててしまった。中身を見失い、人間の生き方が泡のようになってしまった。まさに、あの時代を象徴するようなエピソードです。
 そう考えると、やはり「バブル景気」は心を滅ぼすことで生まれたものだという指摘には、うなずかざるを得ません。「平成」に入ると、この状況はさらに深刻になりました。グローバル化が進み、経済至上主義、市場原理主義が世界的に広がったことで、スピード化、効率化、合理化が進み、人の心はますます取り残されています。お金は、人がより良く生きるための手段であったはず。それが過剰に目的化したことで、お金のために人の心も、いや人生さえも、簡単に踏みにじられる時代になったといえるでしょう。

            

 農業に従事し、農民の立場から見えてきたものを、小説やルポルタージュ等で発表される農民作家・山下惣一さんが、1987(昭和62)年に西日本新聞で連載されたコラムに、こんな話がありました。ちょうど、バブルが始まった頃に書かれた文章です。
 山下さんには、とても実直な友人がおられます。彼は貧農の六男に生まれ、定時制高校を出て、地元では大手の鉄工所に就職して三十余年。家から職場までの海沿いの道を、さながら機械のごとく通勤していました。酒もタバコもギャンブルも、女性にまで関心がなく仕事一筋。「あいつは何のたのしみがあって生きているのだろうか」とみんなが噂するような人でした。

 当時、電電公社が民営化され、NTTとなることが発表されました。みんなが「これは、確実に儲かる」とNTT株を求めたので、購入のための抽選券が配られることになりました。鉄工所の同僚が、面白半分に仲間に配った抽選券の一枚。何と、山下さんの友人がもらった券が、当たりだったのです。「どうしよう」と相談された山下さんは、「せっかく当たったんだから、買えばいいじゃないか」と答えます。彼は不安を抱えながら、清水の舞台から飛び降りたつもりで約百二十万円を支払い、一株購入しました。二晩枕の下に敷いて寝ましたが、持ち慣れない上に怖くなり、三日目には売りました。すると、約百八十万円で売れたのです。二日間で、六十万円の利益になったというわけです。

 山下さんは彼に呼び出されました。ところが、彼は妙に沈み込んでいます。
「よかったなあ。けっこうけっこう」
「冗談いうな。人を馬鹿にするな」
「どうしたとか?」
「考えてみろ。六十万円はオレの三カ月の給料だぞ。それが紙切れ一枚でたったの二日で手に入る。こんなことがあってよかとか。それじゃ、オレは何のために毎日弁当持って会社へ通っているんだ。もし、十株も持っていたら、一年間働かなくてもいい計算になる。オレたちの一年分の労働はそれくらいの価値しかなかとか?/何か知らんがアホらしくなってきた」
 彼は職場の同僚にも奥さんにも内緒で、その六十万円を定期貯金にした。このカネには死んでも手をつけないという。(『身土不二の探究』山下惣一)


 私はこの話を読んで、「な、なんてカッコ良い人なんだ!」と衝撃を受けました。一昔前には、自分の仕事や生き様に、プライドを持って生きた人がいたのですね。それは、確かな手応えのある誇りです。中身のない、泡のようなものではありません。
 ところが今や、老いも若きも「濡れ手に粟」の稼ぎ方を求めています。それどころか、誠実な生き方の人を敬うこともせず、馬鹿にさえしている。その上、利用してこき使ってやろうとするブラック企業の経営者がいるような時代です。
 山下さんは、こんな友人の話も書いておられます。

  もうひとりの友人はダイヤモンド類のセールスをしている兼業農家。彼は豆粒ほどの一個百万 円単位の商品を持ち歩いているのだがときどき自分にこう言い聞かせる。
「この指輪一個が百万円。家の田んぼ一反歩が百万円。この百万円は絶対に同じではない。そんな ことがあるはずがない、あってはならない」
 ときどきそれをやらないと気が変になりそうだ、と彼はいう。田植えの時期、泥田に入って耕うん機で耕しながら呪文のように口の中でそれをくりかえす。そうしないと、とてもコメなんか作れないのだそうである。(同)

 金がすべてという時代に、何とかして抗おうとする姿、心を滅ぼさぬようにと生きる人の姿に、涙がこぼれそうです。こんな人たちがいたことを、私たちは知らなくてはならないのではないでしょうか。そんな人たちの生き様が、敬われる時代にならなくては、「バブルの後始末」は終わりそうにありません。

              

 「平成」といえば、多くの災害も起こりました。代表的なものとして東日本大震災が思い起こされることでしょう。あの大震災が起きて一か月後、あるお寺で「これから私たちに何ができるだろうか」という話し合いが行われました。多くの方が参加され、中には初めてお寺に来るという人もいたので、自己紹介の場をもちました。その時、三十代の男性がこんな話をされたそうです。

 阪神淡路大震災があった年、インドを旅行していると、現地の人から「あなたの宗教は何ですか」と質問されました。彼が「ありません」と答えると、「ウソだ」と言われたのです。ウソをついているつもりはないので、再び「ありません」と答えると、「日本人の宗教はお金だろう?」と言われたというのです。彼は頭が真っ白になってどう答えていいかわからなくて、その後もずっと気になり、日本に帰ってきてからは自分の生き方を考えたといいます。今は、農業を生業とし、身の丈にあった生活ができればいいと思っている。そして、「地震は人間の力ではどうすることもできないけれど、原発を必要としてきた生活をどうしたらいいのか、みんなと話したくて参加しました」と。
             (『東本願寺の時間』藤場 芳子「3.11から思うこと」)
 「平成」という時代は終わりましたが、これまで失ってきたものを、私たちはまだ取り返してはいないのでしょう。大震災後は、「絆」という言葉が叫ばれ、助け合うことの尊さに気づかされたはずなのに、気がつけば「金がなければ。金がかかる者は、生きる資格がない」という声さえ聞こえてくるようになりました。




「令和」という元号は、万葉集が出典とされ、「美しい、素晴らしい」という意味の「令」と、「おだやかな、争いのない」という意味の「和」を合わせて名づけられたものだと言われています。では、美しい生き方とは、どんなものなのか。経済的な繁栄だけが素晴らしいのか。今が楽しければ、それが和やかということなのか。この機会に、考える必要があるのではないでしょうか。■