2020(令和2)年 6月号)  
 




新型コロナウィルスの猛威は、やや落ち着きましたが、まだまだ収束する気配が見えません。感染の恐怖だけではなく、経済的な生活の不安、自粛が生むストレスや孤独、様々な問題が私たちを覆っています。

先の見えない不安と恐怖の中では、人間の視野は狭まり冷静さが失われます。しかも、不安は不安を呼び、恐怖が恐怖を煽ります。インターネットやSNSの発達でそのスピードは増し、不安の感染力と影響力は、実はウィルスよりも強力ではないかと思うほどです。

そんな中にあっても今日の一日は、私にとっては人生の大切な一日です。ならば、不安に流されるよりも、大切に、丁寧に生きていかなければ、人生を虚しく過ごすことになってしまいます。ということで、住職お薦めの「生きる勇気がもらえる言葉」をご紹介したいと思います。これらの言葉が、皆さんの心にも響き、力になれば幸いです。

 

「せっかくだから」

まず一つ目は、マラソンランナーの有森裕子選手や高橋尚子選手を育てた名コーチ・小出義雄監督の言葉「せっかくだから」です。小出監督は口癖のように、「どんな状況の時も『せっかく』と思えばいいんだよ。そうすれば、すべてが力になる」と言われていたそうです。

有森選手が練習のしすぎで故障した時も、「せっかく故障したんだから、今しかできないことをやろう」と励まされました。これは、いろんな場面で応用が効きますよね。

「せっかく自宅で自粛するのなら、日頃できないことを楽しもう」

「せっかく動けないのなら、本を読もう。映画を観よう」

「せっかく失敗したんだから、次に活かし、成長につなげよう」

マイナスだと思っていたことが、プラスに変わる。そうすると、ぱっと視界が開けるような、思い込んでいた状況が変わっていくような、そんな気持ちになってきます。

 



「そこがいいんじゃない」

二つ目は、イラストレーターでエッセイストのみうらじゅんさんの「そこがいいんじゃない」です。

観光地に行ったとき「誰が買うだろう」と思ってしまうようなセンスのない土産物が売っていたとします。「これ、ひどいなぁ」と眉をひそめるのではなく、そこであえて「そこがいいんじゃない」と言ってみる。すると、「あれ、それもまたいいのかな。そうだね。それもおもしろいかもね」と視点が柔らかくなる。欠点が味わいになり、くだらなさが逆に笑えるポイントになり、おもしろさに変わる。違った価値や魅力も感じられる。みうらさんは、この言葉を称えたら「人生が変わる」とさえ言われています。

これは、人間関係にも応用できそうですよね。自粛生活で、家族と過ごす時間が長くなると、気分転換ができずに、息苦しいものになる。日頃は何ともないことにイライラしてしまい、家族の欠点が目についてしまう。そんな時に、「そこがいいんじゃない」と思ったら、視点が変わり、相手が愛おしく見えてくるかもしれません。

 



「にもかかわらず」

三つ目は、医師で作家の鎌田実先生の「にもかかわらず」という言葉です。鎌田先生のお母さんは心臓病を患い、お父さんは働きづめの毎日で、貧しい少年時代を過ごしました。大学の学費も自分で稼ぎ、ようやく医師となったある日、衝撃的な事実を知りました。海外渡航のためにパスポートをとろうと戸籍謄本を見ると、自分は養子だということがわかったのです。生みの親に捨てられた自分を、父と母は温かく育ててくれた。貧乏で余裕のない状況にもかかわらず…。その両親の生き方が、「にもかかわらず」という言葉を授けてくれたと鎌田先生は語られます。

まさに、逆境や困難、絶望の中で、「にもかかわらず」生きた人の歴史を思い出させてくれる言葉です。そしてまた、失敗した「にもかかわらず」、また生き直すことができるという希望の言葉でもあります。

挫けそうになった時、「もう、終わりだ」と思った時、「にもかかわらず」そこから歩み出した人がいる。そこに私は、健気さと尊さを感じ、勇気をいただくのです。

 



「南無阿弥陀仏」

 そして、最後のおススメが「南無阿弥陀仏」のお念仏です。

源信僧都の『往生要集』という書物には、地獄の中で最も恐ろしい「無間地獄」に落ちていく罪人が、地獄を前にして泣き叫びながら詠んだ歌があります。そこに「我、今、帰するところ無く、孤独にして同伴無し」という言葉があるのです。安心して落ち着ける場所もなく、帰っていくところもなく、共に生きてくれる人もない。最も恐ろしい地獄を前にして、この言葉があるということは、人間にとって孤独ほどつらいものはないのだと教えられているようです。

 近頃は、「死んだら終わり」という考え方を持つ人が多い時代ですが、「生きているうちが花」という考え方は、死を突きつけられると脆いものです。投げやりになり、目先のことしか考えられなくなりがちです。自分が感染したから「コロナをばらまいてやる」と飲食店をわざと訪れた人、「コロナにかかるか、ストレスで死ぬか」とパチンコ通いを止めない人、感染者を非難し、差別し攻撃する人、みんな不安の中で視野が狭くなっている。そして、孤独に死んでいくことに苦しんでいるのです。

 親鸞聖人は、「南無阿弥陀仏」のお念仏は阿弥陀様からの呼び声だと、教えてくださいました。それは、どんな時でも独りではない。いつも阿弥陀様が共にいてくださる。そして、死んだら終わりの人生ではないのだと。教えられる呼び声です。

私たちには、生と死を超えて受け止めてくださる阿弥陀様のお浄土がある。お浄土は、「俱会一処」また会える場所。先に往かれた方が待っていてくださる場所です。私たちは、お浄土へと帰っていく人生を、お念仏を通していただくのです。阿弥陀様と共に、仏様になられた亡き方と共に生きる人生が開かれていくのです。

人生の方向が定まり、共に歩む人と出遇う。そこにこそ、不安の中「にもかかわらず」、死を突きつけられた「にもかかわらず」、「せっかくだから」と、今の状況を受け入れ、精一杯生き切る力が生まれてくるのではないでしょうか。「そこがいいんじゃない」と笑い飛ばせるような、柔らかな心も育てられてくるのでしょう。「南無阿弥陀仏」には、そんな生き方をされた人々の歴史も込められているのです。

 

いかがでしょうか。すべて、私が生きる勇気をいただいてきた言葉です。これらの言葉が皆さんの心にも響き、また生きる力が出て来たなら、これほど嬉しいことはありません。大変な状況ですが、一日一日を大切に、精一杯生き抜いていきましょう。■