寺報『極楽寺だより』で連載している「お寺のギーカイヨーゴ」。
  お寺に親しんでいただくために、日頃聞きなれないお寺で使われる言葉を紹介
  するコーナーです。
  今回も、ボリュームのある文章となりましたので、『オシエノカケラ』に掲載
  しました。




「梵鐘」

2022(令和4)年8月号 



 



釣鐘のことです。時計が身近でなかった昔は、朝夕の時間を告げるものとして、人々の生活に大きな役割を果たしてきました。但しそれは、あくまでも二次的な役割。梵鐘の「梵」とはインドのサンスクリット語のBrahmaの音訳で、清浄・清らかという意味ですから、あたりの空気を清め、人々に功徳をもたらすものとしてお寺に鐘が設置され、撞かれてきたのです。

梵鐘を撞くと、音だけではなく響きが身体に伝わってきます。そして、そこに余韻があることが感じられます。その響きや余韻は、心を鎮めなければ味わえません。近頃の都会では、「お寺の鐘がうるさい」という苦情が寄せられることもあるそうですが、そのような精神状態では感じ取ることができないものです。そして心が鎮まると、世界の見え方や感じ方が変わってきます。それはとても大きな功徳だと、私には思えるのです。毎年、大晦日に撞く「除夜の鐘」も、「108の煩悩を払うため」と言われていますが、煩い悩むものを追いかけ続けている私の姿を、心を鎮めることで明らかにし、「自分の生き方を見つめ直すご縁」としていただいた方が、より豊かな新年を迎えることができると思うのですが、いかがでしょうか。

また梵鐘には、法座が始まることを知らせるという役割もあります。「ごーん」と鳴り響く鐘の音を、「阿弥陀様から与えられている慈しみと恵みを聞けよ。ご恩≠聞く法座が始まるぞ」という私への呼び声だと受け止め、生活に追われる中に足を止め、心を鎮めて、お寺に参る。そんな生活を送られた先輩方もおられたのです。「ごーん」と「ご恩」って、オヤジギャグみたいだと思われる人もあるかもしれませんが、そんな受け止めを小ばかにする感覚よりも、「すべての事柄は、この私を導き育てるはたらきだ」と受け止める感性の方が、よっぽど豊かだと思います。

 

 

梵鐘には、悲しい歴史もあります。日中戦争から太平洋戦争にかけて、当時の政府は資源不足を補うためにと、金属類の回収を始めました。お寺の梵鐘もその対象となり、浄土真宗本願寺派の寺院では85%のお寺が供出。戻ってきたのはわずか5%。極楽寺の梵鐘も供出され、戻ることはありませんでした。現在の梵鐘は、前住職の住職継職法要の際に、記念事業として新しくかけられたもの。心を鎮めるための鐘が、人を殺す兵器へと変えられる。とても悲しいことだと思います。

2017年より、極楽寺では八月十五日の盆法座の後、平和の鐘を撞くご縁を始めました。鐘の響きと余韻を味わう中で心を鎮め、本当に求めるべきものを、仏法を通して想う。ロシアのウクライナ侵攻以来、日本の世論も過激な方向に傾きつつある今だからこそ、意味あるものだと思います。


 


【極楽寺の鐘つき】

◇平日の午前六時(通年)

◇各法座の三十分前(法座を知らせる集会鐘として)

◇八月十五日 平和を願う鐘  盆法座(魚法会・いのちを尊ぶ法要)後

◇十二月三十一日 除夜の鐘  午後十一時四十五分頃から

 ※『平和を願う鐘』と『除夜の鐘』は、どなたでも撞くことができます







 


 

1973(昭和48)年、新しい梵鐘をご門徒の手によって吊り上げました。
梵鐘は、豊原・河内信雄さんと土手・内山芳二さんにご寄付いただきました。