寺報『極楽寺だより』で連載している「お寺のギーカイヨーゴ」。
  お寺に親しんでいただくために、日頃聞きなれないお寺で使われる言葉を紹介
  するコーナーです。
  今回も、ボリュームのある文章となりましたので、『オシエノカケラ』に掲載
  しました。




ごぶんしょう
「御文章」

2023(令和5)年11月号 



 


 浄土真宗では伝統的に、お勤めや法話の後に『御文章』を拝読することが習わしとなっています。『御文章』とは、本願寺第八代門主の蓮如上人のお手紙です。

現在でも、丁寧な手紙の最後には「敬具(敬って申しました)」「草々(慌ただしくて申し訳ありません)」「かしこ(恐れ多いことです)」といった結語が使われます。同様に『御文章』も手紙ですから、「あなかしこ あなかしこ(あぁ、恐れ多い。勿体ない)」という結語で終わります。

 蓮如上人は今から約六百年前、室町時代を生きられた方です。寂さびとした本願寺を、日本最大の教団へと育てられた「本願寺中興の祖」と呼ばれています。蓮如上人が吉崎(現福井県あわら市)や山科(現京都市山科区)に坊舎を定めると、人々が集い、そこが一大宗教都市となるほどの影響力を持っておられました。

 応仁の乱以降、戦乱の世となる中、貧しく力のない人々に寄り添い、生きる拠りどころを示された蓮如上人の言葉は、乾いた土に水が染み込むように、人々の心に沁みわたっていきました。その教化に大きなはたらきをしたのが、『御文章』です。み教えをわかりやすく伝えるために、手紙という形をとり、全国のご門徒へ送られたのです。印刷技術が今のように発達していない頃。インターネットはおろか、新聞や雑誌もありません。そもそも字が読める人が少ない時代です。だからこそ、手紙という形式で人々に届け、また手紙が多くの人の前で拝読されることで、教えが広まっていく。当時としては、画期的な取り組みだと言えるでしょう。その数は二百通を越えると言われますから、いかに精力的に『御文章』を書かれたかを窺い知ることができます。身近なものでは「聖人一流の御勧化のおもむきは」で始まる『聖人一流章』が、また「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」という一節で知られる『白骨の御文章』は宗派を超えて有名です。








蓮如上人








 でも、よくよく考えてみれば、昔の人って凄いなぁと思いませんか。今、私たちが『御文章』を聞いても、あまり意味はわかりませんよね。文章を読んでも、なかなか理解できません。それを、字を読めない当時の人たちが、耳で聞いて理解していたわけですから。それは『御文章』が、リズミカルに人々が口ずさめるような文体で書かれていることも、大きいのだと思います。まるで、人々の身体に沁みていくような。頭だけで理解しようとする傾向の強い私たちには、なかなか理解できないことかもしれません。

 当時の人々の心や身体に沁みた『御文章』は、その後も長く人々を導いてきました。しかし、現代社会の苦悩する心に沁み入るような言葉なのかというと、なかなか難しいところです。「わかりやすい文章」とは、とても言えなくなりましたし、蓮如上人が今『御文章』を書かれたとしたら、きっと違う言葉で表現されているでしょう。そもそも同じ形式を使われるかどうかもわかりません。但し、この言葉によって救われ、導かれた人たちの歴史があることを、『御文章』を聞きながら味わうことは、とても意味あることだと思います。

 尚、『御文章』を聞くときには、「その場で、少し頭を下げる」という作法になっています。手は膝に置かれても、床につかれても、どちらでも構いません。■