浄土真宗では伝統的に、お勤めや法話の後に『御文章』を拝読することが習わしとなっています。『御文章』とは、本願寺第八代門主の蓮如上人のお手紙です。
現在でも、丁寧な手紙の最後には「敬具(敬って申しました)」「草々(慌ただしくて申し訳ありません)」「かしこ(恐れ多いことです)」といった結語が使われます。同様に『御文章』も手紙ですから、「あなかしこ あなかしこ(あぁ、恐れ多い。勿体ない)」という結語で終わります。
蓮如上人は今から約六百年前、室町時代を生きられた方です。寂さびとした本願寺を、日本最大の教団へと育てられた「本願寺中興の祖」と呼ばれています。蓮如上人が吉崎(現福井県あわら市)や山科(現京都市山科区)に坊舎を定めると、人々が集い、そこが一大宗教都市となるほどの影響力を持っておられました。
応仁の乱以降、戦乱の世となる中、貧しく力のない人々に寄り添い、生きる拠りどころを示された蓮如上人の言葉は、乾いた土に水が染み込むように、人々の心に沁みわたっていきました。その教化に大きなはたらきをしたのが、『御文章』です。み教えをわかりやすく伝えるために、手紙という形をとり、全国のご門徒へ送られたのです。印刷技術が今のように発達していない頃。インターネットはおろか、新聞や雑誌もありません。そもそも字が読める人が少ない時代です。だからこそ、手紙という形式で人々に届け、また手紙が多くの人の前で拝読されることで、教えが広まっていく。当時としては、画期的な取り組みだと言えるでしょう。その数は二百通を越えると言われますから、いかに精力的に『御文章』を書かれたかを窺い知ることができます。身近なものでは「聖人一流の御勧化のおもむきは」で始まる『聖人一流章』が、また「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」という一節で知られる『白骨の御文章』は宗派を超えて有名です。
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