新井カープ、大躍進!
さて、開幕前、多くの評論家から最下位だと予想されていたカープは、見事2位でシーズンを終えました。その原動力は、新井貴浩新監督だと言えるでしょう。コーチ経験もない就任一年目の若手監督ですから、当初は不安視されていましたが、とんでもない。見事に、チームを変革してくれました。
「監督は私。批判も結果も全部私が受け止めます」と選手に責任を押し付けない。「積極的にいく中でのミスはいいからと言っている。それを取り返すチャンスはたくさんある」との背中を押し、不調の選手には「彼だったら乗り越えられる」と期待の言葉をかける。「たくましくなったよねぇ」と選手の成長に目を細め、結果を出せば「自分で殻を破ってくれた」と手柄は選手に。ここ数年出番の少なかったベテランが、久しぶりに活躍すると「彼はどんな時でも最高の準備をしている」と泣かせるようなコメントを。そして、喜ぶ時はみんなで一緒に。
そりゃあ選手が、生き生きとしますよね。こんな監督の下で働きたいと思うような、新たなリーダー像を示してくれました。(新井監督のコメントは、すべてNHK広島放送局『新井貴浩監督リーダーのことば』より)
私たちはこれまで、「強いリーダー」を求めてきました。強烈なリーダーシップで皆を引っ張り、停滞感を打ち破り、スピード感をもって変革していくリーダーを。気づけば、企業も政治もトップに力が集中し、トップの指示に皆が従う組織が多くなりました。
しかし、トップであろうと、やはり人間なのです。完璧ではありませんから、判断ミスも起こります。保身に走ることもあるでしょう。状況を無視した指示が、現場の人を苦しめることもある。人間が駒のように扱われ、逆らう者は切り捨てられ、結果が出なければ責任はすべて現場に押しつけられることも。そうなると現場は、誤魔化してでも、不正をしてでも、指示されたノルマをこなさねばならなくなる。そんなことが、実際に起きています。強い力が集中するほどに、その影響は様々なところにまで及ぶのですから。ビッグモーター社の事件は、その象徴的なものでしょう。
カープの黄金期を支えた名選手・高橋慶彦さんは、「監督業って、最終的には将棋の差し手なんよ。ただ、将棋の駒に心はないけど、選手には心があるから。人間やけんね。心がついてくれば、1+1は2じゃない。無限大になる。そのかわり、心がついてこないと、1+1がマイナスになることもある」(webスポルティーバ『1992年の猛虎伝 阪神移籍後の高橋慶彦は「新庄と代えて」と進言』)と言われます。
まさに新井監督は、選手を一人の人間として尊重したのです。弱い部分もある、失敗することもある。それらを含めて、「人間らしく」接していた。だからこそ、選手の心もついてきた。カープ躍進の原動力は、ここにあると私は考えています。
実は新井監督だけではなく、今年パ・リーグ三連覇を果たしたオリックスバファローズの中嶋聡監督も同タイプのリーダーなのだそうです。企業やスポーツ組織について研究する順天堂大大学院の水野基樹教授(経営組織論)は、中嶋監督を「伴走者のようなリーダー」と分析し、「トップダウンでグイグイけん引するような従来のスポーツチームの監督とは真逆のリーダー。寄り添って、支えてあげるというような上司のもとでは部下が伸びる。それは産業界もスポーツ界も同じ」と評価しています。(オリックス3連覇 中嶋聡監督が「持続可能な強い組織」を作れる理由 毎日新聞 2023/10/1)
考えてみれば、WBCを制覇した野球日本代表の栗山英樹監督も、W杯で歴史的勝利をあげた男子バスケ代表のトム・ホーバス監督も、選手とのコミュニケーションを重視していました。夏の甲子園で優勝した慶応高校野球部も、準優勝の仙台育英高校も、選手の自主性を大切にする監督でした。NHK大河ドラマ『どうする家康』でも、強いトップダウン型のリーダー織田信長とは対照的に、家臣団が心を合わせ、生き生きと主君の家康を支える徳川家が描かれています。
これは、「私は駒ではない。人間なんだ」「人間らしさを認めて欲しい」という人々の思いが時代の要請となり、それを汲み取った人たちの営みによって形になったのではないか…などと私は思っているのです。
そして何より、「人間の事実」を踏まえ「人間らしさ」を尊重する歩みの重要性を、私は親鸞聖人の後ろ姿に学ぶのです。老い、病み、死んでいくという事実を抱えた人間が、弱さ、愚かさ、悲しさ、切なさを持ったままに尊ばれ、支えられ、救われていく道を示された姿に。その豊かで、確かな足取りに。
親鸞聖人が誕生されて、今年で八百五十年。そんな節目の年だからこそ、「人間らしい社会」「人間らしい営み」を、模索せねば。そんなことを考える年の暮れです。■
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