2023(令和5)年12月号 







 

昨年末に、前住職がお浄土に往生させていただいたこともあり、今年は例年以上に慌ただしく、あっという間に過ぎたように思います。「人が一人死ぬということは、こんなにも大変なことなのか」と、身をもって経験しました。同時に「人が一人生きていたということは、こんなにも大きなことだったのか」ということも教えられています。

近頃は、忙しい時代ですから、葬儀も簡略化の方向へ進んでいます。華やかさや贅沢さは必要ないと、私も思います。ただ、「家族だけで、勤めます。お参りはご遠慮ください」としてしまうのは、また違うのではないかとも思うのです。亡き人は、家族だけのものではありません。たくさんの人と共に生きてこられたのです。お別れをしたい、参列したいと切に願われる方もおられるはず。そのつながりを断ち切ることは、一人の人間が生きていた事実を軽々しいものにしかねません。

葬儀の際、多くの方々からのお志をいただくことは、お返しを考えたり、手配したりと、ある意味煩わしい作業が伴います。でも、その作業の大変さがあるからこそ、亡き人が、様々なつながりの中で生かされていた事実を知らされる。そして私も同じ事実に生かされていることに、気づかされていく。そんな「人間の事実」「人間らしい生き方」が、葬儀という営みを通すことで、くっきりと見えてきたような気がします。


 








 


納骨堂新築計画 すこしずつ進んでいます

 

昨年よりスタートした、老朽化による極楽寺納骨堂新築計画も、十年後に向けて少しずつ歩みを進め始めました。しかしいくら計画しても、十年後の物価がどうなるかは、現時点ではわかりません。「今のペースで高騰すると、どうなることやら」と頭を抱える毎日です。ただ、新築にはまとまったお金が必要ですから、準備期間を考慮して、皆さんに早めにお伝えせねば。そんな思いから、早い時点での計画スタートを発表しました。どうぞご理解ください。

しかし、新納骨堂をどのようなものにするかを考えれば考えるほど、「維持・補修だけではなく、壊す時のことまで考えて計画する」ことの必要性を、ひしひしと感じます。なぜなら、現在の納骨堂を壊すことの困難さを思うと、これもまた頭が痛い問題だからです。

実は、極楽寺の納骨堂と同時期に建てられた建造物が、今、大きな問題を抱えているようです。高度経済成長期以降に建てられた鉄筋コンクリートの建造物は、その堅牢さから人々に安心感を与えてきました。しかし、どんなものであっても、いずれは老朽化を迎えます。それを思えば、維持・補修は必要ですし、いずれ壊すことにもなります。それは誰もが、わかっているはず。しかし目の前の安心感からか、問題は放置されたまま今日を迎え、深刻な問題となっています。『NHKスペシャル「老いる日本の“住まい”」』という番組では、そんな建物を数多く紹介していました。

仏教では、世の中のすべてのものは「諸行無常」だと教えます。どんなものでも必ず移り変わり、永遠に変わらないものはないのだと。堅牢な建築物も、永遠に変わらず建ち続けるものではありません。その事実から目を背けたことで、そのツケが今になって深刻な問題として突きつけられているのです。

それは建物だけではありません。私自身も、いずれ老い、病み、死んでいく事実を抱えているのです。そんな「人間の事実」を踏まえ、「人間らしい生活」とは何かを考える。その必要性を、改めて感じています。


 















新井カープ、大躍進!

 

さて、開幕前、多くの評論家から最下位だと予想されていたカープは、見事2位でシーズンを終えました。その原動力は、新井貴浩新監督だと言えるでしょう。コーチ経験もない就任一年目の若手監督ですから、当初は不安視されていましたが、とんでもない。見事に、チームを変革してくれました。

「監督は私。批判も結果も全部私が受け止めます」と選手に責任を押し付けない。「積極的にいく中でのミスはいいからと言っている。それを取り返すチャンスはたくさんある」との背中を押し、不調の選手には「彼だったら乗り越えられる」と期待の言葉をかける。「たくましくなったよねぇ」と選手の成長に目を細め、結果を出せば「自分で殻を破ってくれた」と手柄は選手に。ここ数年出番の少なかったベテランが、久しぶりに活躍すると「彼はどんな時でも最高の準備をしている」と泣かせるようなコメントを。そして、喜ぶ時はみんなで一緒に。

そりゃあ選手が、生き生きとしますよね。こんな監督の下で働きたいと思うような、新たなリーダー像を示してくれました。(新井監督のコメントは、すべてNHK広島放送局『新井貴浩監督リーダーのことば』より)

 私たちはこれまで、「強いリーダー」を求めてきました。強烈なリーダーシップで皆を引っ張り、停滞感を打ち破り、スピード感をもって変革していくリーダーを。気づけば、企業も政治もトップに力が集中し、トップの指示に皆が従う組織が多くなりました。

 しかし、トップであろうと、やはり人間なのです。完璧ではありませんから、判断ミスも起こります。保身に走ることもあるでしょう。状況を無視した指示が、現場の人を苦しめることもある。人間が駒のように扱われ、逆らう者は切り捨てられ、結果が出なければ責任はすべて現場に押しつけられることも。そうなると現場は、誤魔化してでも、不正をしてでも、指示されたノルマをこなさねばならなくなる。そんなことが、実際に起きています。強い力が集中するほどに、その影響は様々なところにまで及ぶのですから。ビッグモーター社の事件は、その象徴的なものでしょう。

 カープの黄金期を支えた名選手・高橋慶彦さんは、「監督業って、最終的には将棋の差し手なんよ。ただ、将棋の駒に心はないけど、選手には心があるから。人間やけんね。心がついてくれば、1+1は2じゃない。無限大になる。そのかわり、心がついてこないと、1+1がマイナスになることもある」(webスポルティーバ『1992年の猛虎伝 阪神移籍後の高橋慶彦は「新庄と代えて」と進言』)と言われます。

 まさに新井監督は、選手を一人の人間として尊重したのです。弱い部分もある、失敗することもある。それらを含めて、「人間らしく」接していた。だからこそ、選手の心もついてきた。カープ躍進の原動力は、ここにあると私は考えています。

実は新井監督だけではなく、今年パ・リーグ三連覇を果たしたオリックスバファローズの中嶋聡監督も同タイプのリーダーなのだそうです。企業やスポーツ組織について研究する順天堂大大学院の水野基樹教授(経営組織論)は、中嶋監督を「伴走者のようなリーダー」と分析し、「トップダウンでグイグイけん引するような従来のスポーツチームの監督とは真逆のリーダー。寄り添って、支えてあげるというような上司のもとでは部下が伸びる。それは産業界もスポーツ界も同じ」と評価しています。(オリックス3連覇 中嶋聡監督が「持続可能な強い組織」を作れる理由 毎日新聞 2023/10/1

  考えてみれば、WBCを制覇した野球日本代表の栗山英樹監督も、W杯で歴史的勝利をあげた男子バスケ代表のトム・ホーバス監督も、選手とのコミュニケーションを重視していました。夏の甲子園で優勝した慶応高校野球部も、準優勝の仙台育英高校も、選手の自主性を大切にする監督でした。NHK大河ドラマ『どうする家康』でも、強いトップダウン型のリーダー織田信長とは対照的に、家臣団が心を合わせ、生き生きと主君の家康を支える徳川家が描かれています。

 これは、「私は駒ではない。人間なんだ」「人間らしさを認めて欲しい」という人々の思いが時代の要請となり、それを汲み取った人たちの営みによって形になったのではないか…などと私は思っているのです。

 

 そして何より、「人間の事実」を踏まえ「人間らしさ」を尊重する歩みの重要性を、私は親鸞聖人の後ろ姿に学ぶのです。老い、病み、死んでいくという事実を抱えた人間が、弱さ、愚かさ、悲しさ、切なさを持ったままに尊ばれ、支えられ、救われていく道を示された姿に。その豊かで、確かな足取りに。

親鸞聖人が誕生されて、今年で八百五十年。そんな節目の年だからこそ、「人間らしい社会」「人間らしい営み」を、模索せねば。そんなことを考える年の暮れです。■