病いと死に向き合う生き様が印象的な方といえば、芥川賞作家の辺見庸さんが思い起こされます。辺見さんは、2004年の講演中に脳出血で倒れ、翌年には大腸癌を発病。後遺症に悩まされ、生と死に向き合いながらも、作家活動を再開されました。麻痺の残る身体で、ポツリポツリとパソコンを打って。なぜ、そんな状況にあっても書き続けるのか。復帰第一作『自分自身への審問』という作品に、こんな話が記されています。
辺見さんは、戦後日本の文芸批評の第一人者
江藤淳さんの死について語られます。江藤さんは、社会的にも大きな影響力を持った方でした。しかし晩年は、脳梗塞の後遺症に悩まされ、「脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり」という言葉を遺し、自ら命を絶たれたのです。当時、多くの人々が「死に際がすっきりした人だ」「遺書はさすがに名文だ」と評価しました。しかし辺見さんは、同様の不自由に遭って以来、この言葉に「哀しくも底暗い衝撃」を受けたと言われます。
もちろん、自分だって自分を形骸のように思わないわけではない。不自由な身体がどうにかならないか、麻痺がなくならないか、と情けなくなるほどにいつも念じ、のべつ再発の可能性に怯える日々。毎晩溺れるように眠り、目覚めるとあまりにも大きな不安と恐怖と侮恨に襲われながら、泣きも叫びもできずに、ただ骸のように仰向いているだけ。死と自死について、これほど考えたことはなかった。でも、江藤さんの「形骸を断ずる」という言葉には、共感できなかった。やけに「勇ましい言葉だ」と違和感を覚え、「ご本人の苦悩と孤独と疲労の色合いから随分離れているのではないか」と思った。そして、「最後の最後にそんな言葉が出てきたとは何と寂しいことか、侘しいことか」と感じたそうです。
形骸とは、「精神を別にした身体。実質的な意味を失い、形式だけが残ること」を意味します。こんな私は、もう私ではない。実質的な意味は失われ、形ばかりでしかない。こんな私なら、生きていても仕方がない。そんな考えは、私たちの中に深く住み着いているのかもしれません。だからこそ、「自ら処決して形骸を断」じた江藤さんを賛美する人も多かったのでしょう。
しかし辺見さんは、「人は生きてある限り、どうあっても形骸たりえない」と言い切られます。一見形骸に似たものであったとしても、その内面にはまた別の輝きがあるのではないか。人間を形骸化する思想に対抗するためにも、その輝きを私は書かなくてはならない。そして、江藤淳にもそれを表現する責任のようなものがあったのではないか。そう語られるのです。
仏教では、執着を警戒します。それがどんな良いことであったとしても、執着することで苦しみが生まれるのだと。人生において、華々しい輝きを放つ瞬間、充実した日々は、かけがえのないものです。しかし、その日々に執着するがゆえに、そうでなくなってしまった老い病む日々を、形骸化してしまうのでしょう。
華々しいときも、弱くもろい姿となっても、私の人生に変りはない。よろけそうになりながらも、それでも歩み続けようとするアントニオ猪木さんの姿。人間を形骸化する思想に抗い、そこにある輝きを見出そうとする辺見庸さんの姿に、心揺さぶられ、尊さを感じるのは私だけではないはずです。
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