2023(令和5)年4月号 







 

202210月、燃える闘魂<vロレスラーのアントニオ猪木さんが亡くなられました。私たち世代の男性にとって、本格的なプロレス好きでなくとも、猪木さんが特別な存在だったことは間違いありません。必殺技の延髄斬り・卍固め。「相手の力を最大限に引き出した上で、それ以上の力で倒す」という風車の理論。モハメド・アリ戦に代表される異種格闘技戦。プロレスラーとしての突出したカリスマ性だけでなく、型破りな発想、卓越したプロデュース能力で、第一線を退いた後も存在感を発揮し、国会にも乗り込んでいくというハチャメチャぶり。「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」「元気ですかー!元気があれば何でもできる」「1、2、3、ダァーッ!」といった数々の言葉…。『イノキボンバイエ』の曲が流れる中、ガウンをはおり、赤いマフラータオルをかけて入場する華々しい姿を思い起こす方も多いのではないでしょうか。


 


    





 

そんな猪木さんも、晩年は難病に苦しみ、車椅子生活を送られました。その姿が、『燃える闘魂 ラストスタンド〜アントニオ猪木 病床からのメッセージ〜』(NHK BSプレミアム 2021年)という番組で放送されたのです。あの華やかで力強いアントニオ猪木が、痛々しく弱々しい姿をさらけ出した。そのことに、多くの人が強い衝撃を受けました。なぜ、こんな姿を見せたのか。猪木さんは、こう語っておられます。

「本当はこういう映像は見せたくなかったんですけど、強いイメージばっかりじゃなくて、こんなにもろい、弱い、どうとるかは知りませんよ、見た人たちが。そういうひとりの人間として弱い面があってもいいかなと。あえて見てもらって」(『燃える闘魂 ラストスタンド』)

 誰もが、老い、病み、弱々しく死んでいかなくてはならない。それもまた人生の一部。その事実から目を背けるな。猪木さんの姿から、そんなメッセージが伝わってくるようでした。そこには、闘い続けるアントニオ猪木の姿があったのです。シビれました。本当にカッコ良かった。「アントニオ猪木は、闘魂を失っていなかった」と心を震わせたのは、私だけでないはずです。この番組は大きな反響を呼び、書籍にもなりました。その後もYouTubeチャンネルで、ありのままの姿を発信し続けた猪木さん。その姿は、多くの人々に勇気を与えたのです。

思えば、1998年東京ドームでおこなわれた引退試合で、「人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめたときに、年老いていくのだと思います」と猪木さんは語りました。まさにアントニオ猪木は、歩み続け、挑戦し続けたのです。その姿は、リング上の華々しいものとはまた違う輝きを放っていました。彼は「アントニオ猪木」として最後まで人生を生き抜き、そして死んでいったのです。


 











 病いと死に向き合う生き様が印象的な方といえば、芥川賞作家の辺見庸さんが思い起こされます。辺見さんは、2004年の講演中に脳出血で倒れ、翌年には大腸癌を発病。後遺症に悩まされ、生と死に向き合いながらも、作家活動を再開されました。麻痺の残る身体で、ポツリポツリとパソコンを打って。なぜ、そんな状況にあっても書き続けるのか。復帰第一作『自分自身への審問』という作品に、こんな話が記されています。

辺見さんは、戦後日本の文芸批評の第一人者 江藤淳さんの死について語られます。江藤さんは、社会的にも大きな影響力を持った方でした。しかし晩年は、脳梗塞の後遺症に悩まされ、「脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり」という言葉を遺し、自ら命を絶たれたのです。当時、多くの人々が「死に際がすっきりした人だ」「遺書はさすがに名文だ」と評価しました。しかし辺見さんは、同様の不自由に遭って以来、この言葉に「哀しくも底暗い衝撃」を受けたと言われます。

もちろん、自分だって自分を形骸のように思わないわけではない。不自由な身体がどうにかならないか、麻痺がなくならないか、と情けなくなるほどにいつも念じ、のべつ再発の可能性に怯える日々。毎晩溺れるように眠り、目覚めるとあまりにも大きな不安と恐怖と侮恨に襲われながら、泣きも叫びもできずに、ただ骸のように仰向いているだけ。死と自死について、これほど考えたことはなかった。でも、江藤さんの「形骸を断ずる」という言葉には、共感できなかった。やけに「勇ましい言葉だ」と違和感を覚え、「ご本人の苦悩と孤独と疲労の色合いから随分離れているのではないか」と思った。そして、「最後の最後にそんな言葉が出てきたとは何と寂しいことか、侘しいことか」と感じたそうです。

形骸とは、「精神を別にした身体。実質的な意味を失い、形式だけが残ること」を意味します。こんな私は、もう私ではない。実質的な意味は失われ、形ばかりでしかない。こんな私なら、生きていても仕方がない。そんな考えは、私たちの中に深く住み着いているのかもしれません。だからこそ、「自ら処決して形骸を断」じた江藤さんを賛美する人も多かったのでしょう。

しかし辺見さんは、「人は生きてある限り、どうあっても形骸たりえない」と言い切られます。一見形骸に似たものであったとしても、その内面にはまた別の輝きがあるのではないか。人間を形骸化する思想に対抗するためにも、その輝きを私は書かなくてはならない。そして、江藤淳にもそれを表現する責任のようなものがあったのではないか。そう語られるのです。

仏教では、執着を警戒します。それがどんな良いことであったとしても、執着することで苦しみが生まれるのだと。人生において、華々しい輝きを放つ瞬間、充実した日々は、かけがえのないものです。しかし、その日々に執着するがゆえに、そうでなくなってしまった老い病む日々を、形骸化してしまうのでしょう。

華々しいときも、弱くもろい姿となっても、私の人生に変りはない。よろけそうになりながらも、それでも歩み続けようとするアントニオ猪木さんの姿。人間を形骸化する思想に抗い、そこにある輝きを見出そうとする辺見庸さんの姿に、心揺さぶられ、尊さを感じるのは私だけではないはずです。

 



 






 

とは言っても、実際に自分がそうなったら…と考えると、猪木さんや辺見さんのようには、なかなかなれそうもない…。そう考えるのも私だけではないはずです。「そんなに強くなれるだろうか」と、尻ごみしそうにもなります。猪木さんには「アントニオ猪木」の生き様があった。辺見さんには、執筆というよりどころがあった。ならば私たちは、何をよりどころにすれば、人生のすべてを確かなものと受け止めることができるのでしょう。私たちに、道はないのでしょうか。

先日、久しぶりに友人の住職と会い、語り合うことができました。彼は白血病に罹り、骨髄移植を受けたのですが、病状は一進一退。なかなか回復には至りません。それでも人生を生き抜こうと歩む姿に、私は常々尊敬の念を抱いています。

ところがそんな彼も、時に大きな不安に襲われ、眠れなくなるのだそうです。不安は、また不安を呼び、深まっていく。真っ暗な底のない闇に堕ちていくような感覚に、言葉にできないほどの恐怖を覚える。自分自身が見失われ、絶望的になっていく。ただただ否定的な考えしか思い浮かばない。前向きな言葉、立ち向かおうとする思いなんて、まったく出て来ない。
「そんな時、フッと思ったんです。阿弥陀様が受け止めてくださる。阿弥陀様におまかせする他ない。お説教で聞いた言葉が思い出された時、堕ちていく感覚が止まり、我に返ることができたんです。このよりどころがあることが、どれほど有難いことか。気づけば、お念仏を称えていました」
彼はそんな話をしてくれました。

親鸞聖人は、「おおよそ大信海を案ずれば、貴賤・緇素を簡ばず、男女・老少を謂わず、造罪の多少を問わず、修行の久近を論ぜず」(『教行信証』信巻)裕福であろうがなかろうが、男女や年齢も、どんな罪を犯した者も、出家も在家も、修行を重ねた者もそうでない者も、選ぶことなく阿弥陀様ははたらいてくださるのだと教えてくださいました。この言葉は、「誰でも」というだけでなく、「どんな私でも」という意味が込められています。

どんな私であっても、阿弥陀様は受け止め、寄り添ってくださる。そして、阿弥陀様のはたらきをよりどころとするからこそ、我に返り、人生に向き合うことができる。そこからまた、歩み出すことができる。そんな人々の生き様の歴史がお念仏に込められて、彼にも、私にも、至り届いている。そのことを、改めて知らされました。

それは、ただ生きることへの執着ではありません。いただいた人生を精一杯生き抜き、安心して死を受け容れることができる歩みなのです。

 

華やかな輝きに執着し、そうではない自分は形骸だと、見捨ててしまう。そんな寂しい生き方を、賛美さえする私たちです。しかし、私が私を見捨てても、この私を決して見捨てない阿弥陀様の世界があるのです。阿弥陀様の願いとはたらきをよりどころにして、歩まれた方々の生き様を知らされる時、「こんな弱さを抱えた私にも、歩める道が用意されている」と、私の心は震え、勇気が与えられるのです。■