寺報『極楽寺だより』で連載している「お寺のギーカイヨーゴ」。
  お寺に親しんでいただくために、日頃聞きなれないお寺で使われる言葉を紹介
  するコーナーです。
  今回も、ボリュームのある文章となりましたので、『オシエノカケラ』に掲載
  しました。




「お荘厳」

2023(令和5)年8月号 



 



お荘厳(しょうごん)とは、お寺やお仏壇の「仏様を中心としたお飾りやお供え」のことです。またそれらを「整える」営みのことでもあります。

お仏壇は、阿弥陀様の国であるお浄土を表わしています。亡き方を祀る場所だと思っている人も多いのですが、中心はあくまでご本尊・阿弥陀様です。亡き方も生きている私たちも皆、阿弥陀様の大慈悲によって支えられ、導かれ、救われていくのです。阿弥陀様なくして、亡き方と出会うことはできません。だからこそ、阿弥陀様に、お浄土を表わすお仏壇に手を合わせるのです。

お寺やお仏壇のお荘厳は、阿弥陀様をはじめお花も仏具もお供えも、すべて私たちに表を向けて置かれています。これは、阿弥陀様の世界が、人生に迷い苦悩している私たちを対象として開かれていることを意味しています。

 専門的になりますが、阿弥陀様のお浄土は、三つの要素から成り立っているといわれます。

  @ 住環境である「国土」の荘厳

  A 住する「仏」の荘厳

  B 仏のもとに集う「菩薩」の荘厳

これは、お仏壇に重ね合わせると、このように味わえるのではないでしょうか。

  @ 「国土」の荘厳 ⇒ お仏壇や仏具

  A 「仏」の荘厳  ⇒ ご本尊の阿弥陀様

但し、どんなに立派なお仏壇に、美しいご本尊が安置されていても、それだけでお荘厳は充分はありません。なぜならB「菩薩」の荘厳として、私たち自身がお仏壇の前でお念仏申す身となることが、お荘厳には不可欠だからです。

 

時々、「お仏壇を、どの向きに置いたら良いのか」と悩まれる方がおられます。この問題も、実は仏壇をどちらに向けるかはどうでも良くて、自身が仏壇に向かうという「私の向き」が定まることこそが重要であり、それがお荘厳を完成させるということなのです。


 (参照『慈光があるから生きていける』早島大英    
   2004春彼岸本願寺冊子『春風ひかる』より)







極楽寺のお荘厳(御正忌報恩講)