11月の言葉には、驚かれた方が多いのではないでしょうか。挑発的で怒られているような言葉です。
これは、いろんな悲しみを通してお念仏の教えに出遇われた、浅田正作さんという方の詩なのですが、何もどこかの誰かに怒っているわけではありません。「お前」とは、誰のことでもない、浅田さん自身のこと。つまり、阿弥陀如来との出遇いを通して気付かされた、自身の深い内省の言葉なのです。
10月の掲示伝道の言葉は、「たった一言が、人の心を傷つける たった一言が人の心を暖める」という言葉でした。私たちは、周りの人の一言で、傷ついたり、暖められたりしながら、生きています。でも、それは同時に自分の言葉が、人を傷つけているということでもあります。
自分が言われたことは覚えていますが、自分が言った言葉をどれだけ覚えているでしょう。私は、どんな言葉を使っているのでしょうか。
先日、こちら(山口県)から福島県に嫁がれた方とお話しておりましたら、福島では今でも「長州」への恨みが息づいているそうです。約百五十年前の、明治維新前夜の戦いの傷跡が未だに残っていて、普段はどうということはなくても、何かきっかけがあると出てくるそうです。ですから、息子さんが学校に通い出してからは、自分の実家が山口だということは、あまり言わないようにされていたとも。
何も、福島の人が特別だということではないのでしょう。やられたことは、いつまでも覚えていますが、やったことはすぐに忘れてしまう。これが私たち人間の有り様ではないでしょうか。
浅田正作さんは、阿弥陀如来との出遇いを通して、自分の傲慢な姿に気付いていかれました。自分では見えない後ろ姿を抱えながら、日々を生きている。見えなくても、それも私の紛れもない真実の姿であると受け止めていく。「何食わぬ顔」どころか、誤魔化すことなく、自分の姿と向き合う浅田さんだからこそ、深くて重い、謙虚さと他者への敬い、そして感謝の心が感じられるのです。
自分の後ろ姿を想像することもなく、「何食わぬ顔」をしているのは、一体誰なのでしょう。そう考えると、思わずギクリとしてしまいます。■
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