2010(平成22)年5月   




 この言葉には、本当に大きな反響がありました。私自身、「確かにそうだよなぁ」と振り返りながら、同時に苦々しい思いをしながら、掲示したものです。

「ただで見られる」というのが、またいいですね。このシニカルな表現に、またズキッと心が痛みます。

善導大師という方は、「仏法は、私を写しだす鏡である」と教えて下さいました。自分の姿を振り返るご縁がなかったら、鬼のような形相をしていることにも気が付けません。考えてみれば、そっちの方が恥ずかしくて、恐ろしいことだと思います。■