2010(平成22)年6月   




 テレビをつけると、たくさんの声が聞こえてきます。にぎやかな声、騒がしい声。笑い声や楽しい声、そして派手な声。それらは、時には耳触りよく、時には自分の都合よく聞こえてきます。
 しかし、ささやくような声やつぶやくような声。悲しみを込めた声、地味な声、落ち着かせようとする声。そして耳に痛くても、自分の人生を振り返らせるような声は聞こえているのでしょうか。


 知り合いのテレビディレクターによると、刺激的な声や攻撃的な声、勇ましい声に対しては視聴率があがるけれども、「落ち着いて、ゆっくり考えましょう」という声では視聴率はとれないとのこと。確かに、政治家でも毒舌や過激であるほど、注目は集まり、人気も上がります。


 南無阿弥陀仏のお念仏は、自分に都合のよい呪文ではありません。願いが適うわけでもありませんし、悪霊を退散させるわけでもありません。お念仏に込められた深い心を聞くとき、時には耳触りの良くない、自分の愚かさや弱さが聞こえてきます。

 

しかし、そこにこそ、私の人生にとって本当に大切な意味が込められていると教えられるのです。私は、どんな声に耳を傾け、どんな声に耳を塞いでいるのでしょうか。深く見つめ直していきたいものです。■