2011(平成23)年2月   




 
近頃は、「自分の都合で何が悪い!」と怒られそうな時代です。しかし、自分がいつも正しければそれでも良いのでしょうが、なかなかそうはいきません。

 仏教では、「自分の都合(思い)」を想念と言います。そして、人が想念をもとに生きる時、想地獄という地獄が始まるのだと教えられるのです。想地獄の住人とは、鋭くとがった鉄の爪を持ち、会う人同士がお互いを切り刻むそうです。
 これは、どこか遠くの世界の話ではなく、今私たちが生きている現代社会の在り方そのままではないでしょうか。

 自分の都合で人を切り刻み、自分自身が自分の都合に合わなかったら、今度は「こんな私は生きていても仕方がない」と、自分を切り刻んでいく。
 そんな自分の都合を振り回す私たちの姿を、阿弥陀様は悲しみの心、慈しみの心で、照らし出してくださるのです。■