2011(平成23)年4月   




 一時期、「KY(空気が読めないの略)」という言葉が流行りました。それだけ、その場にいる人たちの顔色を伺いながら生きていかなくてはならない時代なのでしょう。

 

でも、空気を読むことと、人を思いやることは全く違います。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」(ビートたけし)という名言がありますが、まさしく空気に流されるときには、人をいじめたり、傷つけたりも、平気でできるのです。「みんなも払っていないから、私も払わない」という理屈で、給食費を払わない人たちが出てきたのも、そんな空気に流されたからでしょう。

 

昔の人たちは、今ここにいるだけではない人たちのまなざしや呼び声と共に生きておられました。「うちの鰻屋は、タレに変なものを入れたり、産地偽装なんてやらないよ。そんなことをしたら、ご先祖様が代々守ってきたノレンを汚すことになる」とか、「こんなことをしたら、母ちゃんに会わす顔がない」とか。そして、「誰もわかってくれないけれど、阿弥陀さまだけはわかってくれる」ということを拠り所に、場の空気に流されることなく、大切なことを守って生きられた人もたくさんおられたのです。

 お念仏と共に生きる。阿弥陀様と共に生きるとは、そんな営みでもありました。

 

もちろん、自分の頑固さを正当化するために、阿弥陀様を使うことは、阿弥陀様を悲しませることになってしまいますから、注意しなくてはなりませんが。■