この言葉は、先月の言葉と対になっているような言葉です。お釈迦様が、「人生は苦である」と言われているように、私たちの人生には、様々な問題が襲いかかってきます。しかし、その根っこは「不如意(思い通りにならないこと)」、つまり、私たちの苦しみの原因は、私の思いだと指摘されるのです。
私たちは、いろんな希望や願いをもち、未来を想定しながら生きているのですが、人生には想定外のことはいくらでも起こってきます。思い通りにならないことを、「問題」として困り果てているのであれば、それは自分の思いが作り出したものでしかありません。どんな問題にあっても、困るはずです。
先月の言葉のように、様々な問題との出遇いを、私の人生を深めるご縁といただくことがなければ、いつもいつも困り果て、「世の中が悪い」「政治家が悪い」「あいつがいなければ」「生んでくれと誰が頼んだ・・」などと周りに責任を押し付けながらしか、生きることができないのではないでしょうか。これは、本当に寂しい生き方だと思います。
どんな状況であれ、ここからしか私の人生は始まらない。そんな厳しい現実を受け止め、ここからの歩みを豊かなものといただくことが、仏法をよりどころとした生き方なのだと、教えられるのです。
但し、誤解しないで下さい。言われなき差別に苦しむ人に、「それは、あなたの思いが作り出したものだ」というつもりは、全くないのです。差別とは、する側の思いが作り出したもの。そんな思いが、する側自身をも傷つけ貶めていく原因になるのです。■
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