2012(平成24)年4月   




世の中には、「一字違いで大違い」ということがよくあります。「俺がやらなきゃ誰がやる」と、「俺がやらなきゃ誰かやる」では、一字違いなのですが、責任感は全く変わってきます。

同じように、「私が仏教を」学ぶときには、私の知識が増えるだけですから、私の生き方が問われるわけではありません。いや、知識が増えるだけに、それを自慢にし、人を見下す道具にさえ使いかねないのが私たちです。それでは、学ぶ意味が失われてしまいます。

しかし、「仏教に私を」学ぶとは、私の生き方そのものが問われるわけですから、ものの見方、考え方も、大きく変わっていくことです。自分の傲慢さを知らされ、自分を支えて下さる世界を知らされるのです。

 浄土真宗系列の大学である武蔵野大学の山ア龍明先生は、よく、仏教系の大学とは知らずに入学した学生から、「仏教を学んで、何の役に立つのですか」と質問されるそうです。しかし、役に立つか立たないかの前に、「私はどんな生き方をしているのか」と、自らを見つめ直すことは、本当に大切なことです。目先の損得に流されることで、自分の生き方を見失うことの方が、怖ろしいことではないでしょうか。

 さて、私は「仏教に私を」学んでいるのでしょうか。いつしか、「私が仏教を」学んでいる立場にいるのかもしれません。改めて、自分の生き方を見つめてみたいと思います。■