2013(平成25)年3月




春は出遇いの季節であり、そして別れの季節でもあります。
 私自身、様々な出遇いの中で育てられてきたことを、実感しています。印象に残る大きな出遇いもありますが、その時には気づけなかったけれどもふり返ってみる中で、大切な出遇いだったと味わうことができるものもあります。
 出遇いがあるからこそ、人は成長できるのです。外からの呼びかけに出遇うとき、視野が広がり、大切なことに目覚めさせられ、育てられる。いや、その出遇いの尊さへの気づきがあるからこそ、育てられていた私であったことにも気づかされるのでしょう。

 しかし、どんなに素晴らしい出遇いがあったとしても、「愛別離苦(愛する人と別れなくてはならない苦しみ。自分の力ではどうにもできない、人生の根源的な問題のひとつ)」と示されるように、私たちは別れを避けることはできません。
 別れの悲しみの中で、「こんなに悲しいのなら、出遇わなければよかった」と言われる方もあります。でも、その悲しみの深さとは、出遇いの尊さを表しているのではないでしょうか。人生において、それだけ悲しめるような、かけがえのない出遇いがあったということは、素晴らしいことであるはずです。

 ならば、別れの悲しみの中でこそ、それまで気づくことのなかった出遇いの深さを教えられるということなのでしょう。育てられていた事実に、沢山のものをいただいていた事実に、深く頭が下がるのです。


 人は、出遇いによって育てられ、そして別れの悲しみの中で深められる。そのことに気づかされた時、苦しみでしかなかった別れの悲しみも、尊いご縁へと変わるのだと教えられるのです。■