2016(平成28)年1月




病いとは、人間や動物の心や体に不調または不都合が生じた状態のことをいいます。それは、生活環境といった外的な要因によるものもありますが、自らの生活習慣によるものも大きな要因の一つです。食生活や運動不足など、日頃の習慣が病いを招くことは、私も身をもって痛感している一人です(実は私、腰痛に悩まされているのです。モチロン運動不足が原因なのですが)。まさに、自分を苦しめる状態を自ら作り続けている。その生き方こそが、既に「病んでいる」というのかもしれません。

 

昔の日本には、「うばすて」という習慣があったと伝えられています。食料事情の貧しい時代、口減らしのためにある一定の年齢になると、お年寄りが山に捨てられたという悲しい歴史です。その「うばすて」が行なわれていた時、とんでもない男がいて、早く母親を捨てられる年になればいいと待っていたというのです。

そして、遂にその時がやってきました。その男は、竹で母親の入るだけの籠を編み、その中へ母親を放り込んで、息子と二人代わる代わる背負って山を登りました。ようやく決められた場所にたどりつき、籠ごと母親を放り出して、二人は山を降りはじめます。しばらくして息子が「父さん、俺忘れ物をして来た。取りに帰ってくる。先に行っといてくれ。」と言いだしました。
「何を忘れたんだ」
「籠さ、籠だよ」
「そんなものもう要らんじゃないか。捨てておけ」
「そうはいかん。あんたが要らんでも、俺はいる」
「なぜ?」
「だって考えてみろよ。その内、あんたを捨てにゃならんだろうが。その時に要るじゃないか。」

聞いた父親は、しばらく呆然としていましたが、一目散に山へかけ登り、母を背負って帰ったということです。常にわが身を振り返らないと、とんでもないことをしていても、気がつかないままになってしまいます。そして、自分を振り返ることのない行為が、自分勝手な社会を作り上げる一因になるのです。
 仏教では、苦しみの原因を貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴(無知・真理を知らない)の三つの心だといいます。すべて自分中心のものの見方であり、それが自分を苦しめることに繋がるのです。まさしく、人生最大の病は自分勝手ということなのでしょう。

 近頃は、自分勝手にふるまうことを「自由」だと思っている人が多いようです。現在主流の新自由主義経済なんて、まさにその典型でしょう。これが世界経済のスタンダードになっているとは、何と怖ろしいことか。
 しかし仏教では、それを「自由」とは言いません。煩悩に雁字搦めに縛られて、苦しんでいる状態だというのです。■