2020(令和2)年2月




 この言葉は、マンガ『ドラえもん』の一場面に出てくるものです。まさに名言として、多くの人の心を揺さぶってきました。親しみやすい『ドラえもん』だからこそ、素直に心に届くのかもしれません。

この言葉に、現代社会に生きる人々の多くが励まされるのは、自分という枠組みが強い時代だからではないでしょうか。自分の枠組みとは、「こうあるべき」「こうありたい」という思いです。仏教では、自分の枠組みが強固であるほど、苦しみも強くなると考えます。そしてこの枠組みを「執着」と呼びます。

こだわりが強い人ほど、それが上手くいかなくなると、イライラします。「お寺の鐘がうるさい!」「子どもの泣き声が許せない!」といった苦情も、枠組みが強い人の傾向です。快適な空間を作ることに執着するほど、そして、自分が「こうあるべき」「こうありたい」という自分の枠組みに当てはまらなくなってしまうと、「こんな自分はダメだ」と思ってしまう。枠組みが強いほど、その思い込みも強くなるのです。

このような状態を、曇鸞大師という方は「蚕繭自縛」という言葉で指摘しておられます。「蚕繭」とは蚕のまゆのこと。蚕が自ら出した糸でまゆを作り閉じこもる姿を、執着という枠組みで自らを縛り付けている私たちの姿に譬えたものです。




 そもそも、「こうあるべき」「こうありたい」という思い自体、本当に私が求めているものなのかどうか、怪しいものなのです。

以前、「今でしょ!」でお馴染みの予備校講師・林修先生が、TV番組で高学歴ニート(東大や早稲田、慶応大卒などの高い学歴を持ちながら、仕事に就かない人たち)に授業をするという企画がありました。「やりたい仕事でしか働きたくない」という彼らに林先生は、2011年の東大受験に出た文章を紹介されたのです。

それは、アイヌの長老に「やりたいこと」を聞いたところ、その答えは何と…「素手で熊を仕留めたい」ということだったという文章です。これを聞いた彼らは「熊を素手でなんて!」と笑いました。長老の思いとしては、熊はアイヌの世界では神の使いと崇められており、熊狩りも一つの宗教儀礼として考えられてきた。ところが、ある時期から熊を鉄砲で撃つようになってしまった。そのことに、気が咎めるからということなのですが。

では、なぜこの文章を林先生は紹介されたのか。それは、人間の「これがしたい」「これが好きだ」という願望は、環境や情報など外部の要因によるものだということを指摘するためなのです。ゲームを作る仕事がしたいと言っても、百年前に生まれていたらゲームそのものが無かったわけだから、その願望もあるはずがない。アイヌに生まれていたら、熊を素手で仕留めたいと思うかもしれない。自分のいる環境によって「やりたいこと」は変わる。

「自分がやりたいことって、結局テレビや雑誌の情報に踊らされていたんじゃないか」「人の思いが、いつの間にか自分の思いにすり替わっているのではないか?」と、林先生は自らの経験を通して語られました。そう考えると、「やりたいこと」「好きなこと」「こうありたい」という自分の思いや枠組みそのものが、怪しく思えてきませんか。

 

真宗僧侶で、宗教学者の釈徹宗先生も、次のように言われています。

ある地点に立っていると、苦しみや怒りの連鎖がとまらない。でも、少し立ち位置をずらしてみると、見える世界が変わる。苦しみや怒りのカタチが変化する。そんなことが起こります。でも私たちはある地点に固着してしまって、なかなか立ち位置をスライドすることができません。何かの教えに導かれたり、別の価値と出会ったりする体験があったり、そういうことを通じて立ち位置が変わるのです。/一度、自分の枠組みを点検してみましょう。もしかしたら、私たちは他者の欲望に生きてしまっているのかもしれません。例えば、なぜ有名大学に入りたいのか。それは他者が欲しているからできないでしょうか。なぜいいマンションに住みたいのか。よくよく自己分析すれば、それは他者が住みたがっているからでは?/他者や外的要因に振り回されない状態を、仏教では「自由(自らに由る)」と呼びます。例えば、お腹がいっばいなのに「好物」を見るとつい食べてしまう。これは(好物に引っ張られてしまっているので)自由ではありません」
                   (釈徹宗『なりきるすてるととのえる』)

 

 自分なんかダメだと思い込む。その思い込みを点検するだけで、間違いなく何かが変わります。日頃の価値観とは違う体験をすることも、立ち位置が変わり、見える世界が変わります。これは、現代社会に生きる私たちには、とても大切なことではないでしょうか。

私としては枠組みを点検するには、仏法に導かれる体験がお薦めなのですが、素直に心に届くのであれば『ドラえもん』の言葉でも結構です。ぜひ一度、自分の枠組みを点検してみてはいかがでしょう。そういう私も、点検しておかなければ。私もかなり、自分の枠組みが強いものですから…。■