2021(令和3)年6月




 皆さんは最近、どんなことに驚かれたでしょうか。作家の五木寛之さんは、「ちゃんと驚こうと、意識してびっくりするようにしないと、なんとなく一日が過ぎてしまう」と言っておられます。振り返ると、確かにそうかもしれません。年齢を重ねるごとに日々の暮らしに流され、驚きや感動を忘れた生活をしているのではないかと考えさせられるのです。

五木さんは中年にさしかかった頃、鬱っぽい症状が出てきたので、これはいけないと「よろこびノート」というのを作り、一日一回、どんな小さなことでも無理してよろこぶようにしました。「今日は、良い天気でうれしかった」「喫茶店で、好きな歌手の曲が流れて、うれしかった」と、小さなことを強制的にうれしがり、それをノートに書き込む。そんなことを半年余り続けていくうちに、いつの間にか元気になっていたそうです。

 それから十年ほどたって、再び鬱状態がやってきました。再び「よろこびノート」を開始したのですが、この時は症状が重く、一向に効き目がありません。それなら逆療法だと、今度は「かなしみノート」を始めました。「行きつけの店の、豆大福が売り切れて悲しかった」「扁桃腺が腫れて、微熱がある。悲しい」とか、ニュースを見てはいちいち悲しむ。するとこれが、効果テキメン。二、三カ月もすると、何だかばかばかしくなってきて、いつの間にやら気分も明るくなってきました。



五木寛之


 ところが六十代になると、今度は初老性の鬱になったのです。これがなかなかしぶとくて、「よろこびノート」や「かなしみノート」で対処できるような相手ではありません。あれこれ考えた末に、今度は「びっくりノート」というのを試してみることにしました。六十歳をすぎると、あまり驚かなくなってくる。今までの経験から「まあ、そんなこともあるだろう」と心が慣れてしまい、びっくりすることが少なくなってくる。しかし、どこかにびっくりすることがないかと、きょろきょろしていると、世の中実は驚くことばかりだということにまず驚いた。最初は、「一日一驚」と言っていたのが、それどころではなかった。そうしているうちに、初老性の鬱を乗り越えたのだそうです。(『とらわれない』五木寛之)

私たちは、驚くべきことを当たり前にしていますよね。今日の日が来るのが当たり前。歩いたり、喋ったり、スイッチを押せば電灯が輝き、蛇口をひねれば水が出る…。穏やかな日々を、当り前のように受け止め、決めつけ、退屈にさえ感じているのかもしれません。

病気になって、初めて健康の有り難さがわかる。災害が起きて、穏やかな日々の掛け替えのなさを思い知らされる。失ってみて、どれだけそれが大切なものだったかに気づく。そんなことが起こらなければ驚けないならば、寂しいことです。やはり私たちは、身を乗り出すようにびっくりしていかねばならないのでしょう。

 

「ぞうさん」「一年生になったら」「やぎさんゆうびん」など、誰もが一度は口にしたことのある童謡の作詞で有名な山口県周南市出身の詩人・まどみちおさんは、「生涯、驚き続けた人」だったそうです。そのまどさんが、百四歳で亡くなるまで変わらなかった口癖が「びっくりしたなぁ」「そうだったんだ」「面白いねぇ」「有難いねぇ」という四つの言葉です。

「びっくりしたなぁ」とは、世界を決めつけない態度です。世界には、私の知らないもっと多くの驚きがあるという謙虚さと、ワクワク感が伝わってきます。そこには、「そうだったんだ」という発見があり、「面白いねぇ」という感動があり、「有難いねぇ」という感謝が生まれてくる。なんと豊かな生き方なのでしょうか!

 
まどみちお


何年か前に、金沢の鈴木大拙記念館に行ったときのことです。鈴木大拙先生は世界的な禅の研究者で(日本よりも、海外の方が有名だそうですよ)、「近代日本最大の仏教学者」とも言われています。浄土真宗との関わりも深い方でした。記念館には、大拙先生の掛軸が幾つか掛けてあったのですが、その中の一幅に英語で

「O wonderful, Wonderful,and most wonderful wonderful! and yet again wonderful」

と書かれたものがありました。これはシェイクスピアの戯曲の一節で、「ああ、驚いた、驚いた、こんなに驚いたことはないくらい驚いた!それでもまだおどろきたりない…」という意味なのです。

大拙先生は、まさに仏教の神髄とは「驚き」なのだと示されているのです。「驚く」とは、新たな感動と共に、これまでの自らのものの見方、考え方の小ささに気づかされることです。世界はもっと深く、もっと豊かである。そのことに驚きと感動をもって接していく。世界を小さく決めつけない。いや、決めつけようとする私を揺さぶり、導くはたらきを仏法というのだと。

 
鈴木大拙



「有り難さ」とは「有る」と「難しい」という二つの言葉で成り立っています。今それが有ることは、当たり前なことではない。多くのはたらきや、出遇いや、支え、長い歴史が重なり合うという「難しい」ことがあって成立しているという驚きと感動、そして感謝の言葉なのです。

五木寛之さんに倣って「一日一驚」を始めてみませんか。そのことが、自分の人生の掛け替えのなさ、そして私を包む世界の豊かさに目覚めさせられるなら…、ワクワクしてきます!■