五木寛之さんも、十二歳で朝鮮半島からの引き揚げを経験された方です。ソ連軍の進駐により、悲惨な状況だったと語られます。「マケドニアのアレクサンダー大王の時代から、軍隊が入城してきたら略奪、暴行は兵士の勝手。それができるんだということを上官は兵隊たちに言って士気を鼓舞しているわけですから、その日からやりたい放題がはじまるのは当然でした。」
毎晩自動小銃を抱えたソ連兵が、「マダム・ダヴァイ!(女を出せ)」と怒鳴っては、銃を乱射して威嚇する。結局、どの女性を差し出すかということになると、若い娘さんや人妻は出せない。独身で、以前この人は隠れた商売でもやっていたのではないかという女性に、みんなの視線が集中してしまう。「頼む!行ってくれんか」という声がかかると、もう覚悟していたように彼女は無言で立ち上っていく。そして翌朝、ボロ雑巾のようになって帰ってくる。その女性に対して、周りの母親が「だめよ。近づいたら。ああいうひとは病気をもっているんだから」と子どもに耳打ちをする。自分たちを救ってくれた女性であるにもかかわらず差別が行われる。
そのような状況下で生き抜いた五木さんは、「人間の残酷性などべつに驚きでもなければ、恐怖でもない。戦中、戦後に、人間というのは本来そういうものだということをいやというほど見聞きして育ったものですから」と言われます。同時に、「生き残ってきた人はそういう行為に加担しようがしまいが、やっぱり悪人であるという意識を、私は十二、十三歳のころからずっとしょい込んでいました」とも語られるのです。
わずか八十年前の話です。お二人の言葉の前では、私はただ立ち尽くすしかありませんでした。もし私がその状況に置かれたらどうふるまうのか…。とても想像できないほどのものですが、しかし他人事ではないのでしょう。なぜなら、これが人間の本性であり、私もその人間の一人だからです。
そんな五木さんは、親鸞聖人の言葉に救われたと語られます。
「親鸞が法然から伝えられたという「悪人正機」という思想は、/悪人をこそ許すために仏がいるのだ、という考え方ですね。この年になってその思想にすごく救われたように思うところがあります」(『弱き者の生き方』大塚初重・五木寛之)
状況によって何をしでかすかわからない。それが人間の本性であり、その私を許し救うために、阿弥陀様のはたらきがある。だから、「開き直って生きていけばいい」ということではないのです。一皮剥けば悪人であるという事実を忘れない。痛みを、悲しみを抱き続けて生きる。そこにこそ、阿弥陀様の心が深く味わわれてくるのでしょう。
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