2022(令和4)年6月


 先日ある方から、「コロナ禍を通して、誰が信頼できるのか、できないのかが、よくわかりました」と言われました。「誰しも感染したくないという気持ちはあるし、不安も抱えている。でも、感染者に対する誹謗中傷や差別的な態度を見せられると、明日は我が身なのに…と思う。自分が感染したら、どうなるのだろう。そう考えるとゾッとする。トラブルが起きた時にどうふるまうかに、その人の人間性が見えてくることがわかりました」と。

確かにそうだと思います。日頃どんなに立派なことを言っていても、トラブルが起きれば正体が露わになる。学びを重ね、頭では理解したつもりでも、自分の問題として突きつけられたときに、本当の人間性が明らかになるのでしょう。

ならば自分の正体って、一体どんなものなのか。実際にその場に立ってみないと、自分でもわからないのかもしれません。思いもよらない自分の姿が見えてくるのかも…。


 
 

明治大学名誉教授の大塚初重先生は、登呂遺跡発掘などに携わられた日本考古学界の第一人者です。大塚先生は、作家の五木寛之さんとの対談『弱き者の生き方』という本で、戦争中に海軍兵として乗っていた船が沈没し、漂流した経験を語られています。その船から逃げ出す時に、仲間を蹴落としたということも。燃え盛る船底から、垂れ下がったワイヤーロープにしがみつき、抜け出そうとする大塚先生の脚に、二人も三人も必死でしがみついてくる。自分の身体もずるずると船底に落ちていく。

 「そのしがみついてくる人を私は両脚で蹴落としたんです。/やっぱり生きたかった。ただそのためだけにやった殺人行為でした。だから、人間というのはいざというときには、何をするか、何ができるか、もうわからない。もしあのとき、船底が燃えていなければ、私も「おい、つかまれ」と仲間に手を差し伸べたかもしれません。」


 
 

五木寛之さんも、十二歳で朝鮮半島からの引き揚げを経験された方です。ソ連軍の進駐により、悲惨な状況だったと語られます。「マケドニアのアレクサンダー大王の時代から、軍隊が入城してきたら略奪、暴行は兵士の勝手。それができるんだということを上官は兵隊たちに言って士気を鼓舞しているわけですから、その日からやりたい放題がはじまるのは当然でした。」

毎晩自動小銃を抱えたソ連兵が、「マダム・ダヴァイ!(女を出せ)」と怒鳴っては、銃を乱射して威嚇する。結局、どの女性を差し出すかということになると、若い娘さんや人妻は出せない。独身で、以前この人は隠れた商売でもやっていたのではないかという女性に、みんなの視線が集中してしまう。「頼む!行ってくれんか」という声がかかると、もう覚悟していたように彼女は無言で立ち上っていく。そして翌朝、ボロ雑巾のようになって帰ってくる。その女性に対して、周りの母親が「だめよ。近づいたら。ああいうひとは病気をもっているんだから」と子どもに耳打ちをする。自分たちを救ってくれた女性であるにもかかわらず差別が行われる。

そのような状況下で生き抜いた五木さんは、「人間の残酷性などべつに驚きでもなければ、恐怖でもない。戦中、戦後に、人間というのは本来そういうものだということをいやというほど見聞きして育ったものですから」と言われます。同時に、「生き残ってきた人はそういう行為に加担しようがしまいが、やっぱり悪人であるという意識を、私は十二、十三歳のころからずっとしょい込んでいました」とも語られるのです。

わずか八十年前の話です。お二人の言葉の前では、私はただ立ち尽くすしかありませんでした。もし私がその状況に置かれたらどうふるまうのか…。とても想像できないほどのものですが、しかし他人事ではないのでしょう。なぜなら、これが人間の本性であり、私もその人間の一人だからです。

そんな五木さんは、親鸞聖人の言葉に救われたと語られます。

「親鸞が法然から伝えられたという「悪人正機」という思想は、/悪人をこそ許すために仏がいるのだ、という考え方ですね。この年になってその思想にすごく救われたように思うところがあります」(『弱き者の生き方』大塚初重・五木寛之)

状況によって何をしでかすかわからない。それが人間の本性であり、その私を許し救うために、阿弥陀様のはたらきがある。だから、「開き直って生きていけばいい」ということではないのです。一皮剥けば悪人であるという事実を忘れない。痛みを、悲しみを抱き続けて生きる。そこにこそ、阿弥陀様の心が深く味わわれてくるのでしょう。


 
 

しかし損得や計算で考えれば、高名な名誉教授の大塚先生が、わざわざ人に知られたくない過去を語る必要はありません。向き合いたくないほどの重い過去であるほどに、目を背け隠すのが普通の感覚だと思います。けれども、大塚先生も五木さんもそうできなかったのは、自分の人生に誠実に向き合っておられるからなのでしょう。お二人の生き方に、私は「この人たちの言葉は信頼できる」と思いました。

状況によって何をしでかすかわからないのが、私たちの正体なのです。いつも立派にふるまうことができるとは限らない。不安に流され逃げ出すことも、人を傷つけることもしかねない。そんな自分の弱さに、どれだけの痛みを感じるのか。どう向き合うのか。実はその後のふるまいこそが、本当の人間性を表すのではないでしょうか。

 

五木さんは、この対談の「まえがき」で、こう書かれています。

「私は長い年月、自分を/「悪人」としてうしろめたい思いを隠して生きてきた。それは極限状態のなかで、/選択の余地などなかったというのが事実である。しかし、だからと言って、自分を許すことはできない。/
 希望を語ることは、たやすい。人間の善き面を指摘することもむずかしくはない。しかし、絶望の中に希望を、人間の悪の自覚のなかに光明を見ることは至難のわざである。大塚先生のお話には、それがあった。私は戦後数十年にわたって背おい続けてきた重いものを、はじめて脇におろしたような気がしたのだ。
 脇においたからといって、それが消えるわけではない。しかし/改めてじっくりと眺めなおすことはできる。そして、その重い荷を放置することなく、手に持って運ぶ勇気が感じられるとすれば、どれほどありがたいことだろう」(『弱き者の生き方』大塚初重・五木寛之)



 状況によって何をしでかすかわからないのが私の正体であるならば、正体と向き合わずに語る希望は薄っぺらで、安易なものなのでしょう。しかし人生と誠実に向き合い、絶望をくぐり抜けた上で、なお希望を語ることができる人の言葉は重く、信頼できるものだと教えられます。そして、親鸞聖人が語られる阿弥陀如来の慈悲のはたらきとは、まさに「絶望の中の希望」「悪の自覚のなかの光明」なのだと、私は思うのです。だからこそ、五木さんの心にも響くのでしょう。


自分の正体、丸裸の自分と向き合うことは、とても難しい。けれども、親鸞聖人の歩みに勇気を与えられ、阿弥陀様のはたらきに包まれて、その重い荷を運んできた人々の歩みがあるのです。自分の生き方をじっくりと見つめ直さねばならないと、背筋が伸びるような気がしています。■