私たちの社会は、様々な問題を抱えています。たとえば格差による貧困、人種性別や障害による差別、平和、環境問題…。また、これまでの慣習や価値観から、問題として認識されないものも数多くあります。それらは「社会問題」という言い方で一括りにされますが、当事者にとっては、切実なる人生の問題。そこには、痛みや悲しみを抱えた生身の人間がいることを、見失ってはなりません。
そんな人たちに寄り添い、より良い社会にするためにと「社会運動」というアクションが起こされます。しかし、なかなか理解や共感が広がらないことも多く、「そんなことをしても、何も変わらない」という無力感を持つ人や、運動に取り組む人をバカにする人もいるのが現状です。
では、より良い社会にするためのアクションを、どう起こせばいいのか。そのアイディアが、世界の著名人による講演会を開催・配信している非営利団体TEDにて、起業家のデレク・シヴァ―ズさんから提案され話題となりました。
デレクさんはまず、一人の男性が公園のような場所で、上半身裸になって踊りはじめる映像を流します。周囲は、バカにした視線を彼に注いでいました。そこに二人目が参加したのです。一人目の男性は二人目、つまり最初のフォロワー(後に続く者、支援・支持する人)に声を掛け、二人はさらに元気よく踊り出しました。そして三人目が入ってきます。三人はもう「集団」であり、「みんな」です。さらに数人加わり、ますます勢いづいていき、そこにムーブメント(動き・流れ)が起こる。多くの人が加わるほどに、笑われたり、後ろ指をさされるリスクは小さくなる。一旦大きな流れができると、逆らうことが難しくなる。加わらない方がかえってバカにされるからと、みんな集団に入ろうとする。
社会運動も、このような形で起すことができる。社会を変えることができるのだとデレクさんは言い、最後にこう締めくくりました。「確かに、最初はあの裸の男性でした。彼には、大きな功績があります。しかしリーダーだけでなく、フォロワーもまた重要なのです。踊りはじめた一人のバカをリーダーに変えたのは、最初のフォロワーだからです。スゴイことをしている孤独なバカを見つけたら、立ち上がり参加する勇気を持ってください」と。
私たちの社会をより良いものにするためには、アクションを起こすリーダーだけでなく、後に続くフォロワーもまた同じくらい重要なのだという指摘です。後に続く人こそが「バカにされていた人をリーダー」に変え、大きなムーブメントを起すのだと。この考え方は、因だけでなく縁をも重視する、仏教の「縁起の思想」に通じます。
考えてみれば、近頃はインターネットやSNSの普及で、誰もが気軽に意見を発信することができるようになりました。そして小さな声に共感や賛同が集まると、大きな影響力を持つようにもなりました。フォロワーの重要性と可能性がますます高まっている時代ですから、この提案が共感されるのも理解できます。
さて、一見ポジティブなデレクさんの指摘。しかし私には、「あなたは一体、誰をフォローしているのですか」という問いのように聞こえました。より良い社会を作ろうとする人なのか。それとも、彼らをバカにする人なのか。それとも、「どうせ、何も変わらない」という無関心の立場なのか…。関心があろうがなかろうが、私たちの行動はそれぞれの立場のフォローとなり、社会を作り上げている。それだけの責任があることを自覚しているのかと、問われたように感じたのです。
|