2023(令和5)年7月



今月の言葉は、念仏詩人と呼ばれた榎本栄一さんの言葉です。榎本さんは、阿弥陀様のはたらきに出遇い、自分の思い上がりに気づかされる中で、多くの味わい深い詩を書かれた方でした。

思い上がると、足元が見えなくなります。足元を確かめるからこそ、この私を支えてくださる世界との出遇いが、また開かれるのでしょう。榎本さんの詩を読むと、確かな足どりで人生を歩まれた方だということが、しみじみと伝わってきます。

ただ近頃は、このようなことを言う人が少なくなりましたね。身を汚す仕事を、引き受けてくださる人への感謝。自分が出した汚れを、人に押しつけていることへの申し訳なさ。それらが見失われている時代ではないでしょうか。それはやはり、「外部化」が影響しているのだと、私は考えています。




 




現代社会は、多くの「外部化」で成り立っています。かつては、生活に必要なものは家庭内で作ってきました。田植えも教育も葬儀も、日常的なことはお互いさまと助け合い、協力し合わねば生きていけませんでした。それらはすべて自分のこと、つまり当事者としての問題だったのです。

ところが産業の発展により、必要なものは「外部から買う」ようになりました。教育も学校へ、福祉は行政へ、葬儀は葬儀社にと「外部化」が進んでいったのです。それは物質的な豊かさや、便利な社会を作り出してきました。私もその豊かさを享受しています。しかし資本主義における先進国の豊かな生活は、途上国という外部から収奪し、その代償を押しつけ、しかもそこから目を逸らすことで成り立っているという指摘もあるのです。そしてそれらは当事者意識を失わせ、お客さん感覚、消費者意識を私たちに植えつけていきました。


象徴的なものとして、私は水洗トイレを思い浮かべます。昔の便所は、汲み取り式でした。臭いし、汚い。でもそれは、自分が出したものなのですよね。その現実を便所に行く度に、否が応でも突き付けられていました。ところが水洗式へと変わり、自分の出した汚物は、外部に流され清潔になりました。そして、その処分を誰が引き受けるのかも、わからなくなりました。

汚物を出しているのは、私です。あくまでも、私は当事者なのです。ところが、見えない外部に流すことで、自分は清潔だと思ってしまう。自分の出した汚いものを、処分してくださる人たちがいることも見失われる。そこには、感謝も後ろめたさもありません。あるのは、「オレは金を出している客だから、やって当然」という消費者意識と、何でも「責任者出てこい!」とクレームをつける傲慢なあり方。そして、身を汚す仕事を引き受ける人を蔑む、醜い態度です。








ところで皆さんは、お笑い芸人のさらば青春の光≠ニいうコンビをご存知でしょうか。日本一のコント師を決めるコンテスト「キングオブコント」の決勝に何度も進出している実力派コンビです。彼らのネタに『工場』というコントがあり、これが秀逸なのです。コントを書き起こしても、雰囲気やライブ感が伝わらないので興醒めするかもしれませんが、あえてご紹介させていただこうと思います(読みやすいよう、編集していることも、申し添えます)。

 

ある工場の喫煙所。作業服を着た男(主任)がたばこを吸っている。そこへ同じ服を着た、若い作業員がやってくる。

【若い男】 主任、おはようございます!

【主 任】 おお!お前、昨日すごかったなー。

【若い男】 昨日のライブ、来てくれたんですね。ありがとうございました。

【主 任】 お前がロックバンドやってるなんて、知らんかった。歌ってたなー。津田と一緒にいったんやで。

【若い男】 津田さんにも御礼言っとかないと。

【主 任】 お前、工場の時と全然違うからビックリしたわ。それで、曲とか詞とかはお前が考えてんのか?

【若い男】 そうなんです。曲は、みんながノリやすい感じに。歌詞は、僕が思ったことをストレートに乗せてる感じで。

【主 任】 アレ印象的やったな、激しいやつ。「夢も持たずに 社会の歯車になるぐらいなら 死んだ方がマシだ」ってやつ。

【若い男】 あれ『歯車』っていう曲なんです。一番盛り上がるんですよ。

【主 任】 続きなんやったかな。

【若い男】 「毎日毎日同じことの繰り返し そんな人生幸せですか?」

【主 任】 あのー、それで因みにやけど…、お前…俺ら工場の皆のことを、どう思ってる?歯車やと、思ってる?率直な意見聞きたいわ。続きなんやったっけ?

【若い男】 「意思なく働く大人たち 顔見るだけでヘドが出る」

【主 任】 どう思ってんの?ヘド出てる?いや俺、昨日津田と二人でビックリしてな。帰りの電車全く会話無かったわ。ほんで津田今日来てへんしな。先週も社員二人行ったやろ。高田と野々村か。あいつらもお前のライブ行ってから工場来てへん。高田は俳優になります、野々村は芸人になる夢あきらめきれません、言うて。

 響いたんと違うか!お前のロックが!お前、工場の人間ライブ誘うのやめてくれへん?このままやったらどんどん人が減って、この会社潰れてまうで!!やれライバル会社に負けんとこうとか、この厳しい不況耐えて頑張っていこうって言うてんのに。
 我が社の一番の敵はロックでしたわ!まさかロックに会社潰されるとは思いませんわ!前代未聞やで!

【若い男】 いや違うんです。聞いてください。僕はね、社会に対する不満を歌ってるだけなんです。

【主 任】 社会って、16からここでバイトしとるんやろ?お前にとっての社会って、ここだけやないか!なあ!お前が俺らのことどう見えてるか知らんで!
 でもな、俺は俺で、この工場で俺にしか出来ない作業を模索しとんねん!みんな同じ制服着とるわ!でも汚れ方は一人ひとり全然違う!それが個性や!このシミひとつひとつが勲章になんねん!


【若い男】 (メモ帳を取り出しメモる)

【主 任】 メモるなーっ!







 

…この面白さ、伝わりました?書き起こすと、なかなか伝わりませんよね。でも、今の時代を確かに表しているようで、どうしても紹介したかったのです。

「夢も持たず個性もない、そんな社会の歯車のような人生は嫌だ」という時代です。事実、そんな言葉が溢れています。でも、見えないところで支えている人がいなければ、社会は成り立ちません。そんな人たちを「あんな生き方、ヘドが出る。死んだ方がマシだ」「毎日同じことの繰り返しで、人生幸せか?」と貶し、蔑んでいく。自分の汚れを押しつけておいて。

そんな今の時代を象徴するような彼にも、本物の言葉は響くのです。

「みんな同じ制服着とるわ!でも汚れ方は一人ひとり全然違う!それが個性や!このシミひとつひとつが勲章になんねん!」

ところが心に響く本物の言葉も、結局彼にとっては、自分の歌の材料として消費されるモノでしかありませんでした。だから臆面もなく、メモを取り、利用しようとする。当事者として、その言葉を聞こうとしない。自分の生き方そのものは、問われない。思い上がりへの気づきも、申し訳なさや恥ずかしさも感じることもなく。

このコントは、お二人の芸人人生の中で、最もウケたネタなのだそうです。それは、単なる面白さだけではなく、私たちの社会を的確に指摘していることに、共感した人が多かったからではないでしょうか。(コントを書き起こし、解説までしてしまうと、ますます興醒めですよね。「さらば青春の光」のお二人には、深くお詫びを申し上げます)。

 

榎本栄一さんは、阿弥陀如来のはたらきに出遇い、自らの思い上がりに気づかされた方でした。その気づきを通し、足元を改めて問い直した時に、この私を支え、生かしてくださる世界との、感謝と感動の出遇いが開かれたのです。
 誰からも気づかれず、誰にも評価されない。にもかかわらず、大切なことを担ってくださっている方は、たくさんおられるのでしょう。その尊さに気づくことができた時、私の人生の足元がまた確かになるだと教えられるのです。■