2024(令和6)年12月



最も重要な人間関係とは

 私たちは、様々な人間関係の中で生きています。家族、友人、職場、ご近所さん。最近では、ネットやSNS上の関係もあるでしょう。ではその中で、最も重要な人間関係は、誰とのものだと思いますか。
 心理カウンセラーの野口嘉則さんによると、それは「自分との関係」なのだそうです。確かに、私たちは他者との関係だけではなく、自分と向き合ったり、自分を褒めたり責めたりと、自分と関わりながら生きています。人生で最も長い時間を共にするのも、自分です。にも関わらず、私たちは「自分との関係」というものを、あまり意識していないのではないでしょうか。

 では、ここで考えてみましょう。皆さんは、「自分」と良い関係を築けていますか?成功したり褒められたりと順調な時の自分となら、良い関係はいくらでも築けます。ただ問題は、失敗した自分、情けないダメな自分です。そんな自分を、受け容れることができますか?私はと言うと、正直なかなかできません。「バカなことをしてしまった」「情けない」と落ち込み、自分を責めてしまいます。時にはダメな自分から目を逸らし、無視し否定することも。「それは、良好な関係とは言えない」のだと、野口さんは指摘されます。確かに考えてみれば、好きな自分も嫌いな自分も、どちらも大切な自分に変わりはないのですから。


 菅田将暉という俳優さんがおられます。映画やドラマだけでなく、CMからバラエティー、音楽活動に至るまで、様々な活躍をされている方です。その菅田さんが出演した、コーヒー飲料のCMをご存じでしょうか。菅田さんが、友人の男性を抱きしめる。そんなシーンから始まるCMです。そこにたくさんの人たちが現れて、二人を取り囲むようにして温かく抱きしめる。そして菅田さんの言葉が流れます。
  「もしも、友達が傷ついていたら、思い切り励ましてあげたい。
   なのに、どうして人は、自分に同じことができないんだろう。
   もっと自分に優しくなれたら。
   大丈夫。俺たちみんな、よくやってるさ。
   自分にも愛を」
 やがて、取り囲んでいた人たちが離れ、二人きりになる。その二人とは、菅田さんと菅田さん。つまり抱きしめていたのは、自分自身だったというCMです。 



 


  私たちは、大切な人が傷ついていたら、励まそうとします。しかし、自分に対しても同じように、優しく励ませるかというと、どうでしょう。必要以上にダメ出ししたり、過小評価したり、自分を虐めてはいませんか。

 「いやいや、人は他人には厳しいが、自分には甘い」と言われる方もあるでしょう。自分はさて置いて、人の失敗を強く非難する。自分の間違いは、認めようとしない。そんなふるまいも確かに目にします。でもそれは、自分にきちんと向き合えていないからではないですか。ダメな自分を受け容れられず、目を背けて否定する。そんな自分とのいびつな関係が、歪んだふるまいへと繋がっているのではないですか。野口さんも「自分との関係は、あらゆる人間関係のひながたになる。人は自分との良い関係が築けていないと、他の人とも上手く関係が築けない」と指摘されています(私にも、実は心当たりが…)。

 でも、大切な人を優しく励ますことができるなら、大切であるはずの自分にも優しくしても良いはず。ところがCMで指摘される通り、これがなぜか難しいのです。自分への期待が大きいからでしょうか。その裏返しでダメな自分に厳しくあたるのかも。実は私たちにとって、一番難しいのが自分との人間関係なのかもしれません。
そんな時、違う立場の誰かから「もっと自分を大切にしようよ」と言ってもらえたら、もう少し冷静に自分と向き合うことができるような、そんな気がするのです。






 
「自分を大切にする」とは

 そもそも「自分を大切にする」とは、どういうことなのでしょう。それは、「友人を大切にする」ことを、具体的に考えてみればわかります。
優しくすることと、甘やかすことは違いますよね。大切にするとは、何をしてもオッケーということではありません。間違っている時には叱ってくれる。でも、どんなにダメな部分があっても、失敗しても、大切に思うからこそ寄り添い続ける。事実と向き合って、ここから一緒に歩んでいこうと温かく励ます。良き友人関係とは、本来そういうものではないでしょうか。

 ならば同様に、自分ときちんと向き合い、温かく励まし、抱きしめてあげること。ダメな部分も含めて、それが自分だと受け容れ、地に足を着けて共に歩んでいくこと。それこそが、自分を大切にすることであり、自分とのより良き関係ではないかと思うのです。






とは言っても、なかなか上手くはいかないのが、自分との関係。そこで最近、「セルフハグ」なるものが注目されているのだとか。「セルフ(自分で)ハグ(抱きしめる)」、文字通り自分で自分を抱きしめることです。人は抱きしめられると、安心ホルモンといわれるオキシトシンの分泌が活発になるそうで、「ならば、自分で自分を抱きしめてあげてはどうだろう」と、セルフハグが生まれました。実際に、自分を抱きしめて優しい言葉をかけることで、安心感や自己肯定感が高まり、幸福感が得られ、他人に優しくなれるのだとか。

 「ホントかいな」と思いながらも、やってみましたセルフハグ。いやいや意外にも、自分の手から伝わる温もりが、安心感を生むのは確かです。ちょっと驚きました。皆さんも、ぜひトライしてみてください。
ただ、私には、どうも不向きなようで。まず一つには、照れくさいのです。そして何より、自分で自分を抱きしめるよりも、もっと確かな世界と私は出遇ってしまったからです。
 






 
立ち戻る場所があるからこ

親鸞聖人は、
  「おおよそ大信海を案ずれば、貴賤・緇素を簡ばず、男女・老少を謂わず、
   造罪の多少を問わず、修行の久近を論ぜず」
(『教行信証』信巻
と示されています。裕福であろうがなかろうが、出家や在家、男女や年齢などの条件は一切関係なく、どんな者にでも阿弥陀さまのはたらきは、届けられているのだと。これは、「誰でも」というだけでなく、「どんな私でも」という意味が込められています。

 阿弥陀さまは、どんな私であっても、見捨てることなく寄り添ってくださる。良い時も、悪い時も、情けない私も、阿弥陀さまは大切に抱きしめてくださる。セルフハグならぬ、まさにアミダハグです!
 「ならば、私自身が私を大切にしなかったら、申し訳ない」と親鸞聖人は、阿弥陀さまのお心をいただかれ、自分と向き合い、自分の人生を大切に歩まれたのでした。その後ろ姿に導かれ、また同じ道を歩まれた方々の歴史が、お寺を建て、お仏壇を用意され、私に届けられている。この事実の中で育てられた私には、ここに立ち戻ることこそが、一番の安心感と幸福感が得られるのです。

 ところで、私たちは仏さまに手を合わせますが、これは元々インドで始まった作法です。インドでは古来より、右手を聖なるもの、左手を不浄なものと考えて、ご飯を食べる時には必ず右手、左手は使いません。お尻を拭く時は必ず左手、右手は使いません。そこから、聖なる右手を仏さま、不浄な左手を私として、両の掌を合わせることで、仏さまへの帰依をあらわす。これが合掌の姿です。仏さまがいつも一緒にいてくださると、手を合わせることで確認する。仏さまの温もりを体感する。これは、不安定な私からのセルフハグよりも、確かなものとして私には感じられるのです。

 私たちには、ダメな自分も受け容れて「これが自分なんだよな。ここからしか、始まらないんだよな」と、立ち戻る場所が届けられているのです。そこから、地に足をつけた確かな歩みが始まっていく。ここにこそ、自分自身との関係をより良いものとし、自分の人生を大切にする道があるのだと、実感している今日この頃です。■